花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

大荒れ天候の顛末

2024年01月26日 | 高齢期の生活全般

一昨日から昨日一杯、日本列島に2日間続いた降雪と猛吹雪は、記録的な傷をあちこちに残した。

能登半島の被災地は、雪で道路の段差や亀裂が覆い隠されて危険な状態に陥ったらしい。また、西日本や東北、北海道の太平洋岸でも降雪量は多く、ニュースで除雪に追われる人々の姿や雪に埋もれた車やバスの姿を報じていた。

航空機やJRの欠航、運休が多く、旅行者の足が、またバスの運休は通学、通勤、通院など、多くの人々の生活の足が奪われた。

我が町も2日間暴風雪が吹き荒れたが、私自身は体力的に重い雪を長時間除雪し続ける事ができなくて、1回30~40分程度の作業が限界だったから家に入って1時間休み、また作業に戻るという風に回数を多くして除雪をこなした。

今回は除雪してもまた直ぐに10cm程降り積もるので、作業回数も増えた。

今朝は晴れたので、日が出ない6時前から起きて薄暗い中、除雪を始めた。し始めた時は余りの降雪に絶望的になったが、休み休み3回除雪してなんとか完成させられた。玄関前の雪は庭に排雪したので、庭の積雪の高さは150~180cmになった。

車庫前には大型除雪車が来て、道路を削った雪を両側に押し除けていくので、沢山の硬く重い雪が置いて行かれる。それを取り除かないと車を出せない。しかし、既にその雪の捨て場が無く、本当に困った。

仕方が無いので車道と歩道の間に積み上げる事にしている。

この先、せめてもう1週間位は雪が降って欲しくないが、どうだろうか。

※除雪が済んだ玄関前から車道まで

※車庫前から移した左の歩道と右の車道の端に積もった雪山

 

我が家でもこうなのだから、町中どこも交差点には高い雪山ができていて、車で行って目の前の道路に出ようとする時、信号機がない交差点では左右の見通しが効かず、なかなか車を進めることができない。極めて危険な状態が続いている。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続く真冬日とふるさと納税の返礼品「リンゴ」

2023年12月18日 | 高齢期の生活全般

今朝の気温は今冬最低で、最高気温はマイナス数度と一日中真冬日の予報

ガス暖房を毎朝6時20分に点火設定し夜は消火しているが、6時45分に起きた時の居間の室温は16度しかない。重ね着(カーディガン2枚)をして室温が上がるのを待つ。20度になった頃、切っている。

また最近は、朝からしっかり食べる様にしている。今朝のメークイーン消費料理は「肉じゃが」にしようかな。明日朝は玉葱とキュウリがたくさん入った「ポテトサラダ」を作って、友人にもお裾分けしたい。

所で、8月に頼んであった「ふるさと納税」の返礼品「ふじりんご」10kgが一昨日の夜に届いた。「訳あり」品を頼んだのだが、大きくて味が良く、どこにも傷一つないリンゴが28個入っていた。重さを測ってみたら1個400gを超す超大玉だった。強いて言えば色合いが少し薄めかなと思う。

昨日、近所の友人宅に数個ずつお裾分けしたり、自己消費して、上段は少なくなった。

市販の果物も今年は昨年よりも3割以上高騰している様に思う。私が寄付をした半月後には、もう同じ金額の寄付金ではなく、3~5割高くなっていたので、来年も早めに予約しようと思っている。

    

運動不足解消のため、今日はどこへ市場調査に出かけようかなと思案している。少し遠出するかも……

※ 追 記

11時半頃隣町まで行こうと車を出したが、路面は分厚い氷で覆われているアイスバーンで、ブレーキを掛けるとスリップする状態だった。事故が起きそうな路面だったので迷わずにターンして戻り、近くのスーパーに寄ってから家に戻った。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忙しかった11月も最終日

2023年11月30日 | 高齢期の生活全般

11月も今日で終わる。最近時間が経つのが早くなった様に感じる。

11月は、庭木の「冬囲い」、菜園の大根と聖護院大根、白菜の収穫と後始末で忙しかった。

「冬囲い」は例年通りの作業だが、今年は時間がかかった。

野菜は干して漬物にしたが、「白菜漬け」の下漬けは、塩を少し節約しすぎたようで失敗した。「大根の糟味噌漬け」は、4回作った。初めのは塩辛くなったが、材料を足して味を和らげ、何とか美味しくできたみたいだ。収穫した野菜を使い切ることができて良かった。

また、11月の二番目の出来事は、病院通いだった。

3ヶ月に1度の「内科の定期検診」に加え、乾燥時期に入ったためか皮膚病になり、「皮膚科病院」にも行った。

その時、1年半ほど前から気になっていた目尻にできた小さな2つの「イボ」を診て貰った。すると「感染する物なので液体窒素で焼きましょう。」と言われ、治療が始まった。少しビリビリと痛いが、それも2回目には快感?に変わった。1個は取れたがもう一個がまだなので、後少し通院しそうだ。

また、「糖尿病」の影響で合併症が目に出やすいと言われているので、久し振りに「眼科病院」に行って検査を受けた。すると「糖尿病」の方は問題が無かったが、「白内障」が進んでいると言われた。そのためか視力もかなり落ちていた。

「手術をするなら、体力的に元気な内が良い。」と医師に言われ、後何年、車を運転できるか分からないが、免許証を得るためには視力検査を通らなければならないので、来春、庭仕事が済んだ頃、手術する決心をして、昨日予約して来た。

そういう訳で、11月は毎日忙しい月だった。

明日から12月。一気に寒気がやって来て、今日は最高気温も氷点下らしい。

一方、巷では3年半続く「新型コロナ」予防によって国民全体の免疫力が落ち、今秋「インフルエンザ」や「帯状疱疹」等が流行ってきているという。「インフルエンザ」はワクチンを接種したが、バランスの良い栄養を採って免疫力を高めておきたい。私の場合、癌の治療後、結果的に食べ過ぎになって仕舞った。子供時代の粗食の反動か、食べることが好きなので、摂取量の調整が一番難しい。

冬場は外に出られなくなり、運動不足になりやすい。その対策も考えなくては。

 ※ 窓辺の「ゼラニューム」。先日鉢上げした物だが、次々と開花している。この3株は「挿し木」で増やした物だ。今日も他より伸びた茎をカッターで2~3本斜めに切り取り、鉢のすき間に挿して置きたい。

   

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「干し芋」作りに初挑戦

2023年11月19日 | 高齢期の生活全般

昨日行ったスーパーに格安の「さつまいも」が売られていた。1箱5kg入りに9個の芋が入っているのを買った。1個のサイズはLLだ。平均すると1個555gという大きさだ。

前にネットで作り方を調べた「干し芋」作りをして見ることにした。

今朝、何年も使っていない「電気炊飯器」を出して、水500ccを入れ、「さつまいも」を2個並べ、メニューを「玄米」に合わせてセットした。やっと蓋が閉まった。炊き上がるのに1時間35分かかった。(この間に洗濯機を回して、洗濯物を干した)

 

              

芋が熱いうちにフォークを使って皮を剥いた。この作業が一番大変だったが何とかできた。

厚さ7~8mmに切って「干し網」に並べ、ベランダの竿に吊した。

              

ネットによると5日程干し続けると良いようだが、当地の今は気温が低いので1週間は必要だと思う。その内雨が降る日もあるようなので上手く行くかどうかと思うが、干し上がりを期待したい。上手くできたら「干し芋」が大好きな友人に届けたい。

暫くは「干し芋」の他に色々な「さつまいも」料理も工夫したいと思っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうとう私も80歳(2)これまでの生活、そしてこれからは

2023年09月19日 | 高齢期の生活全般

確か合計8回の引っ越し経験から、私の中に住まいに対する幾つもの夢ができて行った。病気になって、「自分は後10年生きられるかどうかな?」と思った時、退職金を含む貯金を全部使って終の住まいを建てることにした。

治療中の何も無い時間に「バリアフリー住宅」と、新しい「寒冷地住宅」の勉強をした。それから私の夢を図面に書いて、病院の帰りに札幌市の「建築相談センター」に通い、専門の建築家数人にもアドヴァイスをいただいた後、平面図を決定。それから建築屋巡りと、建築中の住宅巡りをした。そして、ある工務店に依頼して今の家を建てて貰い、引っ越した。

私が今の家に「バリアフリー住宅」として最低限取り入れた事は、病気治療中だったこともあり、もしも車椅子生活になっても暮らせるようにと考えた事だ。

当然、床はフラットで、廊下も階段も幅は135cm、ドアも幅広を採用。居間は長い冬場の生活を考えて広くし、ダイニングキッチンも広く、各個室の広さも最低8畳間以上、トイレ、浴室などは、介助者も入れるように広くした。

また将来的に足腰が弱った時でも二階の個室を使えるように「エレベーター」を後付けできるようにし、各室の収納は必要な物はその部屋の中にしまえるよう大きめに作って、地震があっても家具は最小限なので、家具の転倒による危険を少なくした。

二階にはトイレ、洗面台、納戸も作った。年を取ると寝室の傍のトイレは不可欠だと思っている。コンセントの位置は車椅子対応の低さ、電灯は天井に直付けした。

断熱は「外断熱工法」にしたため、家全体が断熱材で包まれているので、2階階段ホールは吹き抜け。東向きの天窓から光線が入るので、夜間以外は明るく、階段が家の中央にあっても上り下りは安全。

これらの家の作りは、98歳で亡くなった伯母を家に迎えた時にも喜ばれた。

ただ唯一後悔したのは、暖房を当時国を挙げて推進していた「オール電化」にしたことだ。福島の原発事故以来、電気代が高騰したので、その後「オールガス」に工事し直した。

その後は、健康のため適度に身体を動かせるようにと考えて、庭に花や野菜を植えて来た。庭木の植栽については、「剪定」などを業者に頼まずに全てを自分の手で始末するべく、「シルバー人材センター」に加入して2年間ほど学んだりもした。その内、もっと色々な野菜を作りたくなり、市民農園や農家の休耕地を借りたりした。

今は、友人の家の庭を借りて、できるだけ無農薬の野菜作りを目指している。植物の生育過程に感動したり、野菜は食べられるから凄く楽しいのだ。

しかし、特に最近、年齢を感じ始めたのは、考えられない様な物忘れをする事があったからだ。

その一つは、ある金融機関の1年定期預金が満期になったので、別の金融機関に行き、「新しく口座を開いて貯金をしたいのだけれど。」と窓口で告げた。暫くしてから呼ばれた。「当行には既にあなたの口座がありますよ。帰って通帳を確かめて下さい。」と言われて驚いた。

私は時々、外国旅行に出かけていたので、防犯上「貸金庫」を借り、通帳や大事な書類はそこに預けてきた。必要な時しか「貸金庫」を開けに行かないので、普段、通帳を目で確かめる事をしていないから、すっかりその銀行の通帳がある事を忘れていたのだった。

また、数種類の種を畑に蒔いた後、何の種をそこに蒔いたか忘れてしまう事が多いのだ。「どうせ発芽して生育すると分かるから」と、覚えようとしないからでもある。

最近、そんな物忘れが多くなって来たし、何か急いだり、夢中になっている時は、予定の時刻をすっかり忘れてしまう事もある。

まだ当分、死にそうには思えないので、一日々々を私なりに前向きに、そして有意義に暮らしたい。そして他人に迷惑を掛けないように気を付けたい。しっかりと「カレンダー」や「日記」に記録する事で、物忘れを避ける努力を続けて行きたい。(100均の「3ヶ月カレンダー」を利用しているが、凄く良い)

昨日は近所2軒からいただいた「冷凍ホタテ」と「甘エビ」があったので、寿司飯を作って「生チラシ」にした。それから普段は自重している「ケーキ」(ティラミスケーキ)を買ってきて食べた。満足した誕生日だった。

※今朝の庭花「ダリア」と「クレマチス」

       

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とうとう私も80歳(1)これまでの生活

2023年09月19日 | 高齢期の生活全般

今まで私はほとんど年齢にこだわって来なかった。というか、年齢を気にせずに暮らしてきていた。だから記事にも、自分の年齢にはほとんど触れてこなかった。

しかし、ここへ来て「やはり、年なんだな~。」と感じる事が多くなって来た。それもその筈で、昨日、満80歳になったのだから。


現役で仕事をしていた当時は、日々、フルタイムの仕事と家事、育児、その他諸々のことを24時間内に処理するために、毎日が戦いの様だった。職場では、2つ3つの仕事を同時にこなすことも当たり前にやっていた。

退職後はパートタイムで働き出したが、半年後に癌を発見。その後、手術、術後の治療と続き、頭髪も全部無くなり体力も落ちた。年金が暫く出なかったので生活費には支障が出たが、仕事は全部、辞めざるを得なかった。


話しは変わるが、昔の低廉な借家は、酷くおざなりな作り方の住まいだったので、若い頃住んでいた氷点下15度以下にもなる地域の厳しい冬場は、兎に角寒かった。

最初の借家は、玄関の戸がゆがんでいて、冬になると地面が「凍上」するので2cm程も開いた状態になり雪が吹き込んだが、当時はそんな家しか無かった。

また次の借家は、入浴中に木製の浴槽の底が抜けて驚いたり、雪が降って屋根から玄関先に落ちると、積もった雪でドアが塞がれて開かなくなったりした。その家は厳寒地域にも関わらず、「断熱材」が全く入ってなかったから、冬場は床が冷たくて直に座れず、ソファーの上で幼児と毛布にくるまって過ごさねばならなかった。そんな家の問題から、「断熱材」の必要性や降雪地の「屋根」の作り方の重要性(傾斜方向には出入り口を作るべきでは無い)などを学んだ。

小さかった子供の健康を考えて、当時は「寒冷地住宅」としては最先端だとして建てられた地域自治体の「分譲住宅」を買って引っ越した。その後は少しましな住生活ができるようになった。

この「分譲住宅」には、「住宅金融公庫の融資」が購入条件に紐づけられていた。その2年後、銀行に行き、借金の残高を聞いたら、「利息から先に返金しているので、元金はほとんど減っていません。」と言われて驚いた。金利が高い時だったので、その後頑張って貯蓄し、2年ほどで全額返却した。

初めて「ローン」の仕組みがわかり、それ以来、車を買ったり、家を建てたりする時は、高い利息を払わぬように、先ず貯金をしてから買う様に努力した。

40代後半に札幌に異動した時、急遽最初に借りた家は、軟弱な「泥炭地帯」に建てられていて、大雪が降ると雪の重みで建物が不均衡に地面に沈み込み、玄関戸を始め、あらゆる建て付けがゆがみ、室内の床も少し傾き続けた。実は札幌市の中心部の大半が「泥炭地」(土壌の60%もが水分を多く含んだフワフワの腐葉土でできている土地)である事を初めて知った。

そしてその時に私は、札幌の「地盤の特徴」を本で詳しく調べ、どの地域ならどんな「建築工法」、特に「基礎工事法」が必要なのかを学習した。

(今でもまだ札幌市内で地盤の特徴に相応しい建築がされておらず、先の「胆振沖地震」の際には、建物や道路が倒壊した地域があった)

      

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は真冬日(最近の生活雑感)

2022年12月05日 | 高齢期の生活全般

あっという間に12月になり、急に気温が下がって寒くなった。最高気温が氷点下の「真冬日」なのだ。雪も降り、道路は半分凍り付いた雪でザクザク状態だ。

菜園の「小松菜」「春菊」は採り尽くしたが、「長ネギ」と「ホウレン草」が残っていて、雪の下に埋まっている。この後、気温が高い日が来たら、収穫をしたいのだが、どうだろうか。

昨日夕方、近くの友人から「沢山、カボチャを貰ったが、要らないか。」という電話が来たので早速行くと、2つ割にして種を取ってあるのを2個半もくれた。保存期間が迫って腐り出す直前のカボチャらしかった。多すぎるので1個ずつ近所に持参し、「味がどうかわからないけど、食べるのを手伝って欲しい。もし、味が悪かったり実が水っぽかったら、カボチャ団子にでもして下さい。」と言って渡した。

残っていた半分を茹でて見たら、味が無く、実も柔らかい。それで今朝、団子にするべくマッシャーで潰してデンプンを加え、塩、砂糖、胡椒、バターを加えて混ぜ、フライパンで焼いて食べた。自分好みの味なので、美味しく食べられ、廃棄せずに済んだ。

昨日朝は、新聞に入る折り込みチラシにあった近くのスーパーのバーゲン品「熊本蜜柑」1箱を買いに行ったが、開店から1時間近く経っていたため全て《完売》の表示があり、がっかりして戻った。地域の皆さんも、意外とチラシを見ているんだなと思った。

一昨日は、牛乳が腸に合わなくなってから飲み出した「豆乳」がバーゲンだったので、賞味期限を確かめて6個入り1ケースを買った。何時もながら凄く重かった。

(飲み出した頃、色々な種類を飲み比べて見たが、「特濃豆乳」の味と栄養価の高さが気に入り、それ以来これにしている)

植物油は身体に良いけど高カロリーなので、普段は揚げ物や炒め物はあまりしない。しかし、毎日この「豆乳」にオメガ3脂肪酸を多く含む「アマニ油」小さじ1を加えて飲む様にしている。

       

また、高齢の私は筋力が落ちたら困るので、タンパク質は朝もしっかりと摂るようにしている。魚、卵、肉類、豆類のどれかだが、何も無い時は、鯖や鰯の缶詰を空ける事にしている。(これも色々なメーカーの缶詰を試食して、コストパフォーマンスの良い缶詰がバーゲンされると買ってくるようにしている。しかしバーゲン時は、一人2個までとかの個数制限がある事がほとんどなので買い方を工夫している)

また、これからは、昼間、日差しで溶けた雪の表面が、夜から朝の低温で凍り付き「アイスバーン」や「ブラックバーン」になるので、すべって転ばないように気を付けたいし、車も急ハンドル、急ブレーキを掛けないよう、低速で車間距離を十分取って運転したい。

これから降雪量が増えるが、除雪が負担な大雪にだけはなって欲しくないと願っている所だ。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伯母の最後の手紙を発見

2022年03月29日 | 高齢期の生活全般

伯母が満99歳で亡くなってから3年が経ったので、今まで捨てられなかった伯母の学習帳やノートを昨日、片づけることにした。

伯母と一緒にした算数の問題や漢字練習、また、滑舌を良くするために私が書いた「早口言葉」などを懐かしく見ていた。

ページをめくって行ったら、私宛の手紙文があった。

  『○○様

  大変お世話になりました 

  細やかな心づかひ本当に有り難く 感謝で一ぱいです 

  ありがとうを何度言っても 心のそこからお礼を申上げます 

  安心してあのよに行きます

  どうかお元気でね ありがとう

  楽しい毎日でした さようなら』

と薄い鉛筆の字で書かれていた。日付は書かれていないが、ノートの頁から考えて、目がかなり悪くなっていた伯母が、脳梗塞で倒れる直前に家で書いたらしかった。

伯母の私への最後の手紙だ。胸が一杯になった。果たして伯母に感謝されるような介護ができていたのか、反省させられた。

このページは大切に、私の日記帳に保管したい。

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気がつかない内に骨折していたなんて

2022年02月14日 | 高齢期の生活全般

当地は冬に成ると外に出る人が少なくなるので、誰とも会わない日もあるのだが、私よりも少し年上の近所の奥さんの姿が年末からほとんど見られないことが気になっていた。

先日大雪が降って除雪に出た時、夫君が除雪作業をしていたので聞くと、腰が痛くて食事以外は寝ているという。

昨日、見舞いがてら昼食時に行ってみた。奥さんが玄関に出て来てくれて話を聞けた。

年末に急に腰が痛くなったので整形外科に行った所、脊椎骨の上部が骨折していることが分かったのだそうだ。コルセットをして、薬を飲んで寝ていたら、痛みが弱くなり、最近やっと杖をついて室内を歩けるようになったのだという。脊椎骨が折れていたので、腰が酷く痛んだらしい。

聞いて驚いた。骨が折れても気づかないことがあるんだ。頸椎に近い所だそうなので、重い頭を支えきれなくなったのだろうか。または長い間、農業を営んで来た方なので、蓄積疲労が原因の一つなのかも知れない。骨折は痛みが強いので、大変だったに違いない。

骨の形成に必要なカルシウムが吸収しやすい形で含まれている乳製品を食べるかどうか伺うと、食べると言ったので、家に戻り、ストックしてあったチーズと豆乳を沢山紙袋に詰めたのを持って行って差し上げた。

早く良くなって、外に出られるようになって欲しい。

私は昨年骨密度を検査した時、同年齢の女性の平均を20%上回っていると分かったが、引き続き気を付けたい。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は伯母の命日

2022年02月04日 | 高齢期の生活全般

伯母が101才(満年齢では99才)で亡くなってから3年が過ぎた。随分月日が経ったように思うが、まだ3年だったとは不思議な気がする。

伯母との思い出は沢山ある。今まで書いた記事に重複する所もあると思うが、高齢期の身体と生活がどう変化するかを、私は伯母を直接介護しながら教えて貰った。それは私の財産になった。

大正生まれの伯母は、小学校にも満足に行けず、親戚の子守や家の手伝いをして育ったというが、伯母は「嫁いでから、それが生涯の劣等感になった。」と告白した。訳を聞くと、嫁ぎ先の3人の娘(長女は私の母になった人)は皆、女学校を出ていたからだそうだ。(夫となった私の伯父は、農家を継ぐ長男だったので、学歴は小学校卒業だった)

そして、農家の長男の嫁として、自分より他人の気持ちを先に考える事が身体に染みつき、厳しい農業労働と大家族の嫁としての生活を生き抜いた女性だった。

そればかりか幾つになっても学ぶ意欲を持ち続け、私が見つけて来た小学生の学年別漢字練習帳でとうとう小学校卒業までに獲得すべき教育漢字を全部、書くことができるようになったのは満98才の頃だった。加減乗除の計算も得意だったが、余りが出る割り算の仕方を教えたら、一生懸命計算していた。伯母の練習帳は捨てる事ができず、今も置いてある。毎日一緒に歌を唄った「思い出の昭和の歌全集」もそうだ。

晴れた日は毎日、手押し車を押しながらの散歩も欠かさなかった。「止めたら歩けなくなるから。」と何時も言っていた。

しかし図らずしもその散歩後に家で、視覚分野に「脳梗塞」を発症して失明し、当日行った総合病院に急遽入院することになった。

病院でのベッド生活が続く内、8ヶ月後、自力で立ち上がったり、自分で食事を食べられなくなり、やがてそのまま病院で亡くなった。死亡診断書には「老衰」と書かれていた。

途中、2~3回、「家に帰りたい。」と私に言ったが、医者は「家では生活することができないよ。」と言い続けた。後になって私が思うことは、1~2日でも伯母を家に連れて帰ったら良かったかも知れないと残念に思う。

亡くなる1週間ほど前、「私の葬儀はどうするか、考えているかい?」と聞かれた時、突然だったので私は面食らってしまったが、私の考えを話すと「それに賛成だよ。」と言ってくれた。

今ではもう私は何もして上げられないが、せめて命日やお盆には、私の両親や祖父母、伯母の連れ合いだった伯父達と一緒に、墓や仏壇にささやかながらお供物や供花をして、感謝の気持ちを捧げたいと思う。

         

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久し振りで妹宅を訪れた

2021年12月03日 | 高齢期の生活全般

昨日、新型コロナの感染が落ち着いていて、時期的にも大雪が来る前に会いたいと思いたち、2年数ヶ月ぶりに妹に会いに出かけた。

夏に収穫した「男爵芋」と、まとめ買いした「玉葱」、ふるさと納税で送られて来た「有田蜜柑」を持って車で出発し、途中で菓子店「柳月」に寄ってケーキ5ヶを求めた。

家には義弟も居て、2時間ほどとりとめない話に花を咲かせた。

「血液検査」の話になった。2ヶ月に1度検査をしている私と違い、妹は1年に1度なのだという。検査結果の紙を見せて貰って驚いた。私の場合は常に「平常値」よりも高いという「H」が10個も付いているのに、妹のには1つも無かった。

「素晴らしいね!」というと、「来週、白内障の手術を予定しているし、物忘れが増えてきているから心配。」だという。私の目は、まだ暫くは持ちそうだし、物忘れもするけれど、まだそんなに気にならない。

私は養女なので妹とは両親が違い、遺伝的な形質も異なる。(父親同士は兄弟に当たるが)なので姉妹でも体質は違って当然なのだが、互いにこの年になると、色々な不調が出てくる。

私が最近、ずっと飲んで来た「牛乳」を止めて、コレステロールを含まない「豆乳」に切り替えたこと、「揚げ物」や「油炒め」料理は高カロリーになるので、随分前から作らない事、好きな「菓子パン」を少なくしていること等を話した。

帰りに、妹が漬けた「大根の味噌づけ」を少し貰って辞した。帰る途中で日没になり、めったにしない夜道の運転をして国道を帰ってきたが、札幌市内の交通量は多いので次回からは早めに訪問することにしたいと思った。

妹は、「世界的にオミクロン株のコロナが広がりつつあり、何時になったら海外旅行に出かけることができるようになるだろうか。その頃は自分の足腰が不調で、もう行く事ができないかも知れないね。」と話した。そう考えると、私が既に六十数カ国の世界遺産を訪れたことは結果的に良かったなと思った。

今朝、妹から「今年は値段が高い野菜を沢山戴き、ありがとう。肉じゃがやコロッケを作ります。」というメールが届いた。

 ※ 窓辺の「プリムラ ジュリアン」 先日211円で購入した物だ。

    

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2年ぶりで従姉妹に会った

2021年11月17日 | 高齢期の生活全般

昨日昼、コロナの緊急事態宣言が解除されたので、2年振りで札幌駅で従姉妹に会った。

ところが、会うまでの約束を取り付けることが大変だった。

最初の時間と場所の約束は、電話で1週間前にした。しかし、それから毎日電話がかかってくるのだ。先ず日時の確認である。それから場所の確認だ。その都度、従姉妹が言うことが違う。最終的に昨日の朝、私から電話して再確認した。

場所は何度も待ち合わせをして来た札幌駅の「西改札口」にしてあった。ところが10分待っても彼女が来ない。ひょっとして反対側にもう一つある「東改札口」にいるのかも知れないと思って行ってみた。案の定、居た。

「ここで待ち合わせた事は1度も無かったのに、どうしたの?」と聞くと、「ここから出たから。」だという。そして「ずっと札幌駅には来ていないから、駅の事は忘れた。」という。暫く自分の落ち度を認めなかったが、最後に「探しに来てくれて、ありがとう。」と言われた。

取り敢えず出会えた事にホッとして、レストラン街に移動し、ランチを食べながら話した。

雑多な話をしている時は、余り違和感を感じなかった。

私から「最近、物忘れが激しくなったと思うので、一度、脳神経外科を受診して欲しい。」と言うと、「認知症なら全部を忘れてしまうはずだから、まだ病院に行かなくても大丈夫。それに頭の写真を撮られると、脳に穴が空くと聞いたから。」と固辞する。

「自分の記憶が不安だから、会う時間と場所を確かめたくて毎日、私に電話を掛けたんでしょう?年相応の物忘れか、病的な物忘れか、この際医者に診察して貰った方が良いよ。もし病気だったら、今は進行を遅らせる良い薬があるのだから。」「私は2年に1度位頭の写真を撮っているけど、問題ないよ。」と説得した。

すると、「いつも行っている内科の病院の傍に脳神経外科病院があるので、そこに行く。」と言ってくれた。本当に行ってくれるかどうか、まだ安心はできないが、取り敢えずホッとした。もしも彼女が一人で行くことができないのなら、私が連れて行くことにしようと思った。

彼女は一度結婚したが、若い時に離婚しているので、家族と言える人はいない。ずっと一人で民間企業で停年まで働いて来て、今は80才を超えた。一人きりの人が自立生活ができなくなった時、一体どうすれば良いのだろうか。

電話帳で調べて、彼女の地域の「包括相談センター」に聞いてみたら、「認知症の診断が出たら、区役所に行って介護保険の申請をして下さい。それからこちらに相談に来て下さい。」と言われた。

昨日は従姉妹のことで半歩進めることができた日だった。

 ※ 先日玄関に取り込んだ椿が咲いた。

    

 

 

 

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬タイヤへの交換済ます

2021年11月15日 | 高齢期の生活全般

今朝、Nガソリンスタンドにタイヤ交換を予約してあったので、物置から手前に置いてある園芸道具を出し、奥に積んであった冬タイヤを出して車に積み、ガソリンスタンドに持参して交換を済ませた。

昨年は10月21日に交換しているので、今年は24日も遅い。明日あたり初雪が降るかも知れないという予報だが、これも地球温暖化の現れなのだろうか。

年に2回のタイヤの交換時に、物置の中に何があるかを確認しながら片付ける事ができるのは嬉しい。今朝も「石灰」「牛糞堆肥」が2袋ずつあるのが分かったので、2年は買わなくて良さそうだと思った。

ところで、年々力が弱くなっていて、ホイール付きの重いタイヤを車に積むのが大変になって来た。そこで店員に「自宅にタイヤと車を取りに来て交換し、また届けてくれるサービスはありませんか?」と聞いてみたけど、「無い。」と言われた。

後5年は運転したいと思っているが、その前に春と秋の交換時にタイヤの積み下ろしができなくなるかもと不安だ。近所で親しくして貰っている家の方々は皆高齢者で、若者がいない。だから、タイヤを積み込む作業を気軽に頼める人がいないのだ。私が住む地域は、まさに日本の「少子高齢化」の典型的な地域だと改めて思う。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の頂き物

2021年08月27日 | 高齢期の生活全般

毎年私の小さな家庭菜園では、自家消費する量の2~3倍の野菜を育てることにしている。近所で仲良くさせていただいている家庭の中で、数軒は野菜をほとんど育てていないからだ。

今年は知人の畑の一部を借りることができたので、トウモロコシや枝豆と栽培する種類が増えた。

今年も春から育てたホウレン草や春菊、サラダ菜、大根、インゲン豆、ジャガイモ、トウモロコシ、枝豆、長ネギなどを、必要とする家庭に順番に少しずつ届けて来た。数日前にはサラダ菜の苗を頼まれたので、今ポットで作っている。秋には漬物用の大根や聖護院大根なども必要だという家庭に差し上げる。どうやら私の無農薬栽培を気に入ってくれているらしい。

すると時々、お裾分けとして色々なお返しの品をいただく。

今朝は、黒豆の枝豆をいただいた。先ほどは、スイカ1/4と大きな梨だ。昨日も梨。それ以前は和菓子、手作りジャム、サクランボ、みかん、リンゴなどだった。

昨年の頂き物で一番記憶に残っているのは、高価な桃1箱や冷凍ホタテ、沢山の自家製黒葡萄だった。

正月がちかづくと毎年、私が差し上げた大根で漬けた美味しい各種漬物が届く。また、餅作りが上手な方からは大量のお餅が届けられる。

考えて見れば、結果的には物々交換に近い様にも思うが、私も知人もそれぞれ相手の生活を思って不定期で無理のない少しのお裾分けをしているだけだ。それが結果的に互いの生活をほんの少し豊かにしている様に思える。

また、昔から言うように「遠くの身内より、近くの他人」なので、ちょっとした何気ない会話が人間関係を結び、何かの時の見守りや手助けに成るのではと考える。私も草取り等を頼まれたり、野菜の育て方や認知症の家族のこと、福祉施設の預け方などを聞かれることがある。

数日前にも、今月から福祉施設の利用料金が介護保険で補助される上限の預貯金額が一人なら500万円~650万円、2人ならその倍額と少なくなった事を伝えた。それを超える人は、今月から介護保険で一切補助されないことになったのだ。その人には新聞をみていなかったらしく驚かれた。オリンピックの陰で、こんな国民負担の増大が決まっていたのだ。

今日いただいたスイカは、私個人では買うことがないので、季節の食べ物として本当に有り難く嬉しい限りである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重宝している調理道具

2021年04月05日 | 高齢期の生活全般

先月、久し振りにモールの中にある100円ショップに行き、調理道具を2つ買った。

前から気にはなっていたが、今まで買う決心がつかなかった物だ。

   

まずは写真上の「リンゴの芯抜き」。税込み110円でこんなにしっかりしている。リンゴは食べようとすると、丸かじりして最後に芯を残す食べ方以外は、まず芯の始末をしなければならない。それが意外と面倒で時間がかかっていた。

これで一気に芯を抜いてしまえば、後はそのまま皮付きでも、または皮をむいて幾つかに切ってもあっという間に食べられる。もっと早く買えば良かった。

次は「ニンニクつぶし」だ。こちらはなかなか工夫して作ってある優れものだ。価格は330円だったが、使ってみてその利用効率の高さに驚いた。

ニンニクは毎年、近所に差し上げるほど自家栽培して収穫しているが、今までは包丁でみじん切りにして、肉料理に使うことが多かった。それには結構時間もかかるし、ニンニク片が小さいので手間と注意も必要だった。

これなら皮をむいた1片が、あっという間に潰れてしまう。使用後、洗うのが大変かなと思ったが、力を入れて潰す部分が写真の様に固定されていないから洗いやすい。これももっと早く買って使っていたら良かったと思った。時々「餃子」や「ハンバーグ」「肉野菜炒め」等をするが、手間は今までの1/3ほどと凄く役立っている。

人間は道具を作り、それを使って進化してきた動物だ。これらの道具を使って見て、私も少しずつ高齢ながら人間力が増していく。それにしても100円ショップは恐るべし。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする