確か合計8回の引っ越し経験から、私の中に住まいに対する幾つもの夢ができて行った。病気になって、「自分は後10年生きられるかどうかな?」と思った時、退職金を含む貯金を全部使って終の住まいを建てることにした。
治療中の何も無い時間に「バリアフリー住宅」と、新しい「寒冷地住宅」の勉強をした。それから私の夢を図面に書いて、病院の帰りに札幌市の「建築相談センター」に通い、専門の建築家数人にもアドヴァイスをいただいた後、平面図を決定。それから建築屋巡りと、建築中の住宅巡りをした。そして、ある工務店に依頼して今の家を建てて貰い、引っ越した。
私が今の家に「バリアフリー住宅」として最低限取り入れた事は、病気治療中だったこともあり、もしも車椅子生活になっても暮らせるようにと考えた事だ。
当然、床はフラットで、廊下も階段も幅は135cm、ドアも幅広を採用。居間は長い冬場の生活を考えて広くし、ダイニングキッチンも広く、各個室の広さも最低8畳間以上、トイレ、浴室などは、介助者も入れるように広くした。
また将来的に足腰が弱った時でも二階の個室を使えるように「エレベーター」を後付けできるようにし、各室の収納は必要な物はその部屋の中にしまえるよう大きめに作って、地震があっても家具は最小限なので、家具の転倒による危険を少なくした。
二階にはトイレ、洗面台、納戸も作った。年を取ると寝室の傍のトイレは不可欠だと思っている。コンセントの位置は車椅子対応の低さ、電灯は天井に直付けした。
断熱は「外断熱工法」にしたため、家全体が断熱材で包まれているので、2階階段ホールは吹き抜け。東向きの天窓から光線が入るので、夜間以外は明るく、階段が家の中央にあっても上り下りは安全。
これらの家の作りは、98歳で亡くなった伯母を家に迎えた時にも喜ばれた。
ただ唯一後悔したのは、暖房を当時国を挙げて推進していた「オール電化」にしたことだ。福島の原発事故以来、電気代が高騰したので、その後「オールガス」に工事し直した。
その後は、健康のため適度に身体を動かせるようにと考えて、庭に花や野菜を植えて来た。庭木の植栽については、「剪定」などを業者に頼まずに全てを自分の手で始末するべく、「シルバー人材センター」に加入して2年間ほど学んだりもした。その内、もっと色々な野菜を作りたくなり、市民農園や農家の休耕地を借りたりした。
今は、友人の家の庭を借りて、できるだけ無農薬の野菜作りを目指している。植物の生育過程に感動したり、野菜は食べられるから凄く楽しいのだ。
しかし、特に最近、年齢を感じ始めたのは、考えられない様な物忘れをする事があったからだ。
その一つは、ある金融機関の1年定期預金が満期になったので、別の金融機関に行き、「新しく口座を開いて貯金をしたいのだけれど。」と窓口で告げた。暫くしてから呼ばれた。「当行には既にあなたの口座がありますよ。帰って通帳を確かめて下さい。」と言われて驚いた。
私は時々、外国旅行に出かけていたので、防犯上「貸金庫」を借り、通帳や大事な書類はそこに預けてきた。必要な時しか「貸金庫」を開けに行かないので、普段、通帳を目で確かめる事をしていないから、すっかりその銀行の通帳がある事を忘れていたのだった。
また、数種類の種を畑に蒔いた後、何の種をそこに蒔いたか忘れてしまう事が多いのだ。「どうせ発芽して生育すると分かるから」と、覚えようとしないからでもある。
最近、そんな物忘れが多くなって来たし、何か急いだり、夢中になっている時は、予定の時刻をすっかり忘れてしまう事もある。
まだ当分、死にそうには思えないので、一日々々を私なりに前向きに、そして有意義に暮らしたい。そして他人に迷惑を掛けないように気を付けたい。しっかりと「カレンダー」や「日記」に記録する事で、物忘れを避ける努力を続けて行きたい。(100均の「3ヶ月カレンダー」を利用しているが、凄く良い)
昨日は近所2軒からいただいた「冷凍ホタテ」と「甘エビ」があったので、寿司飯を作って「生チラシ」にした。それから普段は自重している「ケーキ」(ティラミスケーキ)を買ってきて食べた。満足した誕生日だった。
※今朝の庭花「ダリア」と「クレマチス」