花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

1月の雨

2021年01月27日 | 日記

昨夜は時々雨音が聞こえていたが、結局、小雨が今日の10時過ぎまで降り続いた。

昨年の日記を見ると、1~2月に雨の記録はないから、この時期の雨はやはり珍しいのだと思う。

気温は1度と高いので、積雪は少しずつ溶けるだろう。屋根からの落雪も心配だ。

そして夕方から明日に掛けてまた氷点下の気温に戻る予報なので、道路の表面は雨が凍結してスケートリンクになると思うと、車の運転も歩行も心配になる。

 

居間の窓辺に置いてある鉢の花の内、開花している花の写真だ。

「アザレア」

「香り椿」

     

「茶花椿」

「シクラメン」

11月10日に葉が出始めた「シクラメン」の写真を載せたが、2ヶ月半後の今、花芽が幾つか立ち上がって来た。もうすぐ開花し始めると思うと、期待が高まる。

     

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猛吹雪

2021年01月19日 | 日記

今日は10時過ぎから雪が降るという予報だったが、朝は晴天だったのでスーパーに車で出かけた。

買い物をして外に出たら、凄い吹雪になっていて驚いた。

取り敢えず車に積もった雪をよけて発進したが、「ホワイトアウト」というのだろうか、2m前が見えない。ワイパーを高速にして時速30km程でゆっくりと走らせた。

何とか信号機の色は分かったので良かったが、道路の端にも雪が積もっているためどこが端かが分からないので、凄く恐ろしい。歩道が無かったら、歩行者にぶつかっていたかも知れない。対向車もライトをつけて来るので、ギリギリでぶつからないように交差する。

通常なら家までは20分ほどの距離。何時も通る近道は止め、幅の広い道を選んだ。信号機10カ所、線路の踏切1カ所あったが、凄く長く感じられた。やっと家に着いて車庫に入れてホッと息を吐いた。

今日の猛吹雪の状態は、車を運転するようになってから3度目くらいかも知れない。一番恐ろしかったのは、50代に職場から札幌市郡部の田舎道を帰宅中、急に吹雪き出して前も横も見えなくなった。止まることも考えたが、追突されそうでやめた。その時は夕方だったので、薄暗い中を必死で運転した。

(翌日、上司のところへ行き、昨日の恐怖を話してから、できれば住まいの近くに転勤させて欲しいと願い出た)

帰宅後ニュースを見たら、沢山のJRや飛行機が、運休、欠航を決めたと言う。

本当に今日は命拾いをした。

時々吹雪が止むので、その合間に除雪を3回した。

予報ではこの後もまだまだ吹雪くらしい。大きな事故が起きないことを祈るだけだ。

※ 窓辺の「香り椿」と散った花。とても良い香りがする。

    

 

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父親の命日にちなんで

2021年01月05日 | 日記

1月5日は、私の父の命日である。昭和26年に39才で亡くなったから、70年忌になる。

出征先で結核になり、帰国させられてから6年間療養したが、戦中戦後は日本の医療が遅れていて、抗生物質もアメリカから輸入できず、若すぎた無念の死だった。父の死後2年経って、ストレプトマイシンが輸入されると、当時多数いた結核患者は、ようやく救命されたと聞く。

私にとっての父の面影というと、奥の8畳間に置かれたベッドに寝ていた姿、病院の小さな個室で横たわっていた姿しかない。

今のように病院に付き添い人がいない時代だったから、母親は病院でずっと付き添いをしていて、私は祖母の家や伯父の家に預けられていたから、小さい頃の母との思い出も少ない。

感染を心配したらしく、入院中の父に会いに行ったのは数回も無いが、その時父が私に「退院したら、飛行機に乗せて東京に連れて行くから。」それと「お前は病気を治す医者になれ。」と言った言葉を覚えている。「東京に行く」というのは、多分、父自身の夢だったのだろうと今になって思う。

当時は女性が働く職場は無いに等しかったので、未亡人になった30才代の母は、女学校を出た人だったが内職に頼った生活を余儀なくされ、母子家庭の我が家は本当に貧しかった。

私は高校に入った時から育英会の奨学金を借りて通学、卒業した。その3年間借りた奨学金は、2/3は無償だったが、1/3は働くようになって直ぐに返還した。高校時代は、経済的に安定できる職業に就いて母親を引き取り、最後まで面倒を見たいと勝手に思いながら一生懸命勉強した。

結婚後、母を引き取って生活を共にし出したのもつかの間、2年半後に母は肝臓の病気になって、あっという間に病死した。苦労した母親に経済的な心配のない楽しい生活を何時までもさせたいと願っていたが、長続きしなかったことが残念でたまらない。

そんな両親を見て育ったので、私は女性も例え結婚したとしても配偶者の収入だけに安住せず、不確定な人生のためには経済的な自立が必要だと信じて今までやって来た。家事、育児とフルタイムの仕事の両立がまだまだ大変だった男性優位の時代を必死で切り抜けたが、振り返ると父の早逝後の母の苦労を見て来たお陰で頑張れたし、老後の今の暮らしがある様に思う。

 ※窓辺で開花した「椿」

 

 

 

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寝室の引っ越し

2021年01月03日 | 日記

昨年の今日は、当地では雨が降っていた。それに比べると、今年は全国的に年末からの低温と日本海側の大雪で、随分違う感じを受ける。

昨日、当地の最低気温は-20度!石狩地方では珍しい極寒だ。まだ続くかと覚悟していたら、今朝は-10度程度だったのでホッとした。「地球温暖化」は本当なの?と思ったりする。

日が出て来て気温も上がって来たので、10時から昨夜2~3cm降った雪の除雪をした。この程度の雪なら除雪の内には入らないが、それでもし終わるまでに20分ほどかかり、身体を動かせて気分が良かった。

所で大晦日に、寝室の引っ越しをしたのだ。

その日の前日、寝ようとして⒉階の寝室に入ったら、ストーブはあるが暖房を入れていなかったため室温は6度しかなかった。急いでパジャマに着替えて布団に入った。足下に予め湯たんぽを入れてあったが、身体はなかなか暖まらなかった。

(昨年までは、寝る30分前にストーブを焚いて寝室を暖めていたが、今冬は膝痛のために階段の上り下りが苦痛で、ストーブを焚いていなかったのだ)

それで翌日、居間の隣の8畳間に伯母が使っていたベッドがあるので、思い切って寝具を運んで引っ越ししたわけだ。

居間は、ダイニングキッチンと続いた広い部屋だが、ガスのヒートパネルが2枚付けてあって、自動的に点火と消火を設定してあり、1日中20度以上になっている。昼間陽が差すと暑くなりすぎて消火する事も多い。

間仕切りの2枚の引き戸を開けると隣のその部屋も直ぐに同じ気温になる。一晩中、気分良くぐっすりと眠られるので、この2日間はすっかり寝坊してしまった。

伯母は、使っていたこの部屋で、きっと気持ち良く過ごしてくれていたに違いないと今更ながら思う。昨夜は掛け時計も壁に掛け、当座の着替えをクローゼットに持参した。

浴室と脱衣場などで気温差が大き過ぎると、高齢者は「ヒートショック」を起こして倒れる事があるというので、やはり気を付けるべきだ。我が家の脱衣場は、ガスのヒートパネルが小さくそれだけでは寒いので、入浴前20分ほどポット式の石油ストーブを焚いている。やはり、北国の冬は、暖かさが何よりのご馳走だと痛感させられている。

 ※居間の窓辺で咲き出した「アザレア」

     

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新しい年の初めに思うこと

2021年01月02日 | 日記

昨年は世界中が「新型コロナ」に明け暮れ、自粛とマスク生活、人との密接な交流を避け、手洗い、消毒を入念にする前代未聞の1年だった。

世界中で大勢の感染者が回復せずに亡くなった。家族であっても感染を避けるために、見舞いも介助も、重症者へ最後の言葉をかけて手に触れる事さえできなかった。

人々は年末には感染の拡大も下火になって欲しいと願ったが、新たなウイルスの変異が見つかり、今は第3波の様相を呈している。

年末からはイギリス、アメリカで新しく開発された「新型コロナウイルス」のワクチンが投与されだした。その効果はまだ明らかでは無い。

このウイルスは、絶滅することは無いという。ならばこの先、確実に私達は今までの生活を変えなければならないだろう。

仕事、教育、物資の販売などの分野で、インターネットを介したやりとりが広く実行されるようになったが、やはり直接、人間が顔を突き合わせ、表情を見て感情や考えを推察し、言葉のやり取りをしながら「ホモ・サピエンス」特有の「協力しながら事を進める」という従来のやり方が、効果的、人間的だという意見も多い。私もそう思う。

家族の生活は、どう変えれば良いか。経済格差によって、貧困層は生活スペースが不十分な事が多い。特に低開発国の、1つの空間に数人が寝起きしなければならない生活を、何とか変えて行かなければならないだろう。

また、清潔な水の確保ができないとか、産業が未発達で教育も未整備だという国や地域の改革も必要だ。また、抵抗力を保持するための十分な衣食住も大切だし、命を守るための最低の医療を保証することも大切だ。

この1年間は、先進国と言えどもコロナの感染者を受け入れて医療処置をするベッドや医療従事者が不足している現状なのだから、世界的にパンデミックが起きた場合の対策が不十分だったのは、確かだと思う。世界中に感染者を治療するハードとソフト、そして今始まったワクチン接種を必要とする全ての人に届けなければならないと思う。

それには各国の「社会福祉政策」と「医療政策」「経済政策」などを待つ以外にはないのだが、感染が世界的な規模で拡大する今は、遠い国だからとか、低開発国だから等と言って、先進国が見ないふりをすることができなくなっている。

「新型コロナ」は、今まで国内、国外に当たり前にあった「格差」の解決も、本当に重要だという事に気づかさせてくれている。

今年は、何とか平穏な生活を国内だけではなく、世界中に取り戻したいと強く望む。このような国民の願望を受け止めて、沢山の財政を運用する各国政府、特に主要国の政府、そしてWHO、ユニセフ、国連が、状況を分析するだけでは無く、今後の対策を真剣に英知を集めて考え、実行して欲しいと願っている。

つい書き出したら、最後は大事になってしまったけれど、新年に当たって望む今の私の偽らざる気持ちだ。

個人的には、1年経っても十分に回復していない左膝の痛みと、時々胸が固まるようになる症状、高血圧と糖尿病を何とか改善したいこと、そして、小さな喜びを見つける日々をおくりたいと願っている。

また1年、このブログを通して、ささやかながら暖かなお付き合いをお願いいたします。

 

 

 

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今冬初の本格的な除雪

2020年12月21日 | 日記

昨日は、朝9時から降り出した雪がやがて本降りとなり、午後2時には止んだが、外に出てみたら5時間でほぼ30cm程に積もっていた。これでは長靴以上の雪なので歩けない。しかし、一昨日から本州の日本海側や山間部に降った豪雪と比べたら、降った内に入らないかもと思った。

午後の最高気温は-4度ほどにしかなっていなかったので、身支度を調えて玄関前から除雪専用の「プラスチックショベル」で除雪開始。意外と軽い雪だった。雪を庭に投げたので、今まで裸で凍えていた薔薇の木々の根元にやっと雪布団を掛けられた。

最後、車庫前、歩道の雪は、小型の「ママさんダンプ」を使った。約1時間で何とか除雪終了。寒いのに汗をかいた。

今朝、体重を計ったら、何と600gも減っていて驚いた。除雪効果かも知れない。足腰も痛くないので助かった。

昨冬は、本格的な除雪は3回と少なかったのを覚えているが、さて今冬はいかに?

※下は、近所の松の雪だ。右と下は、我が家の庭と玄関前。どれも今朝の写真だ。今朝は7時の気温が-17度と寒く、カメラを持って外に出たら空気が肌にビリビリと突き刺さるような感触だった。こんな日は、交通整理や土木、電気、建設業者などの苦労を思う。

 

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公園の紅葉と渡り鳥

2020年10月22日 | 日記

いつも散歩に行く公園で、周りの紅葉が進み出した。銀杏の葉も黄色く成ってきている。薄暗くなる時間だったが、今日の色は明日は違う色になっているだろうと思ってシャッターを切った。

「ナナカマド」の実が真っ赤だ。

落ち葉も美しかった。この時期だけに見ることができる静かなたたずまいだ。

暫くすると渡り鳥の鳴き交わす声が聞こえてきた。もう薄暗くなった空を見上げて、どこを飛んでいるか探す内に、見つけてみたらもの凄く遠い。でもカメラを持っていたのでズームを最大にして写した。それでもこんなに遠かったので鳥は小さい。多分首が長い「オオハクチョウ」だろう。珍しく1列で飛んでいった。

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紅葉に初冬を知る

2020年10月16日 | 日記

急に気温が下がってきて、昨日今日と朝は1~2℃まで冷える。

庭のダリアが一番寒さに弱いので、明朝は霜が降りて駄目になるのではと心配しながら寝る。昨夜は羽毛布団を掛けて寝た。今日はまだ霜は大丈夫だった。

散歩の途中で見かける「紅葉」の木や塀に這う「ツタ」の色が、もうすっかり綺麗な赤色だ。

次は、この素晴らしい「紅葉」の木が歩道の傍の庭に植えてある家だ。今日よく見ると、今は人が住んでいない家のように見えた。

      

私も季節を感じたいと考えて「紅葉」を植えた事があるが、思っていたよりも成長が早いので、その内自分で手入れができなくなると思い、勿体なかったが処分した。今は、他所で鑑賞させてもらっている。

先日ホームセンターで「ガーデンシクラメン」を見つけた。30%引きの値段になっていたので2つ求めた。土に植えようかとも思ったが、室内で楽しみながら冬越しさせることにして、ポットに植え、窓辺に置いた。

一方、右側は、6月から水をやらずに乾燥させて置いた「シクラメン」だ。昨日から水をやり始めた。経過を見守りたい。

     

夕方、花友さんが来て自家栽培した黒葡萄を届けてくれた。店で売られている葡萄と比べても遜色ない立派なできで、甘酸っぱくて美味しい葡萄だ。

渡り鳥の鳴き声がしたので窓を開けてみた。我が家の上を、100羽ほどの大群が低く南へ飛んでいった。

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渡り鳥が帰ってきた

2020年10月10日 | 日記

春に日本から北に帰り、シベリア当たりで繁殖を済ませた渡り鳥達がまた帰ってくる季節になった。

今朝は7~8度の気温だったが、7時半に庭に出て仕事を始めようとしていたら、懐かしい聞き覚えがある鳥の鳴き声で空を見た。真っ青の空の中を60羽ほどのV字型になった群れが一団、南に向かって飛んでいた。まもなくもう一団が来た。

かなり上空なのではっきりとは鳥の姿は分からないが、確かに北国から帰ってきたのだ。この群れの中には、今春誕生した若鳥も沢山居ることだろう。朝夕、急に寒くなったはずだ。

これからはしばらく、毎日のように鳴き交わす声に続いてV字の群れで飛ぶ姿が見られるだろう。自然の摂理に従って毎年何千キロも渡る渡り鳥のたくましい姿は、私には神々しくも見える。

話は変わるが、前に1羽の「カササギ」の写真を撮って記事にしたが、それ以来つがいを見つけることができなかったので心配していた。

一昨日、前にも見かけた近所の公園を通ると、高い木の頂上で鳴いている1羽の「カササギ」を見つけた。もう一羽居ないだろうかと探すと、30mほども離れた高い木の上で鳴き交わすもう一羽の「カササギ」を見つけた。2羽とも元気で居たのだ。本当に良かった。このつがいは、今年の冬もこのあたりで冬越しをするのだろう。

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洗面台下の配水管が外れた(2)

2020年10月01日 | 日記

昨日、この家を建てた建築屋の担当者が来宅して、洗面台下を見てくれた。ネジを改めて締め直し、汚れも綺麗に除去してくれた。これで安心した。彼は独身だが、お礼に「手作りマスク」2枚と、洗面台下にあった「化粧石けん1箱」を差し上げた。昼ご飯も勧めたが、行くところがあると言って断られた。

話は違うが、一昨日午後、88才の近所の知人がふらふらと歩いているのに会ったので、聞くと、「先日から目眩(まい)がするので、病院に行って今、点滴をしてもらって来た所だ。」と話す。目眩がするのに歩いて病院まで往復したとは驚いた。「今度からそんな時は、私に声を掛けて下さいね。歩いている途中で倒れたら困るので……」と話した。

作業所に通っている息子さんが夕方には帰宅するだろうしと思い、たまたま冷蔵庫に「エビ」があったので、そのほかに「油揚げ」「ひじき」「にんじん」「シメジ」を入れた「炊き込み飯」を炊き、届けた。息子さんが帰っていて「有り難うございます。」と言って受け取ってもらった。知人は休んでいるようだった。

昨日、別の用事で家に行ってみると、知人は起きていた。大分目眩は落ち着いたと言う。私は改めてもう一度、「今度また目眩がしたら、電話を掛けて下さい。車はいつも家に置いてあるだけだから、病院へ送りますから。」と話した。

息子さんは、朝も「炊き込み飯」を食べて出かけたと言っていた。

一人暮らしの高齢者が増えているので、地域でお互いに見守る事が大切になって来て居ることを再確認した出来事だった。

  ※歩道から見た土手のダリア

 

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洗面台下の配水管が外れた

2020年09月28日 | 日記

一昨日の夜、洗面を済ませた時に足下に敷いてあったマットが濡れているのに気づいたが、大したことが無かったので放置した。

昨日の夜、洗面して水を流すと足下に水が流れてきた。さすがにこれはおかしいと思い、洗面台下の扉を開けて、中に入れてあった雑多なものを全部外に出して見たら、奥の配水管の印の部分が15cm程外れていた。今まで洗剤や石けんなどが大量に入っていたので、奥が見えなくて接続部分の緩みに気づかなかったのだ。接続部分のネジが緩んで外れたのだ。これなら洗面台に流した水は、全部、漏れて下に流れて来るわけだ。

慌てて水を拭き取り、配水管をつなぎ合わせた。低い場所なのでしゃがんで作業する時、湿布を貼って養生している左膝が痛んだ。

取り出した雑多な物の中に、以前、庭仕事を手伝った知り合いからいただいた「化粧石けん12個入りケース」があったので、今日隣家と知人に半分ずつ差し上げた。(その方は80代の一人暮らし女性だったが、もう10年ほど前に亡くなった)また、沢山あった外国旅行でもらったホテルの未使用「歯ブラシ」も、泊まりに来た来客には良いのではと差し上げた。今は使わなくなった「ブラシ類」などは処分した。

これで洗面台下がすっきりし、奥の様子が見えるようになって安心した。今までは見えなければ良いとばかりに色々な物を突っ込んで来たが、これからは止めて、『必要な物だけを適量に』保管したい。

その内業者が来たら、改めて点検してもらうことにしよう。

       

※今朝、娘に報告したら、「お疲れ様。水道業者に払う分のお金が節約できて良かったね。」という返信が返って来た。さすがは経済学部卒業だと苦笑いした。(29日朝投稿)

 

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連休中の備忘録

2020年09月25日 | 日記

19日は雨が止んだので普段使っていない家の西側の草刈りをした。まず「オオバコ」が沢山生えていたので、スコップで根ごと掘り上げて、根はゴミに出した。その他の雑草もホウで根元から刈った。

ふと北側を見ると、裏の家の年中一切手入れをしない庭の雑草が、雨が続いたために50cmもの背丈になっていて、我が家の東北東の敷地に覆い被さっていた。そのままにしておけば沢山の種が落ちるので境界の隣家側の草を20cm幅ほど引き抜いた。広い庭を何ら活用すること無く雑草地にしてあることに、疑問と腹立たしさを隠せない。

また21日は「彼岸」だし、私の母の「50回忌」でもあったので、片道1時間車を走らせて墓参に行った。庭から「ダリア」や「秋明菊」「秋菊」などを適当に取って束にし、墓前に供えた。

また、ネットで見つけた石材店に先月のお盆の帰りに依頼して来た墓碑への「伯母の記名」追加が出来上がっていた。「戒名」は伯母と2人で考えた名を刻んでもらった。石材店の年配の女性が「良い戒名ですね。」と言ったので、「お寺からは、少し変なところがあると言われました。」と言うと、「お寺は、頼まれなかったからでしょうね。」と言った。これで伯母に対する私の全ての責任を果たせてホッとした。1名追加分の料金は、「戒名」を刻んでも刻まなくても同額の4万円だった。

22日は、娘が札幌から「生寿司」4人分を持って来た。私は、家にある食材で普段はしない揚げ物をした。「若鶏の唐揚げ」に「鮭フライ」「ホタテフライ」「さつまいもの天ぷら」「野菜のかき揚げ」だ。それにレタス、キュウリ、トマトの「野菜サラダ」、「レンコンのキンピラ」などだ。おなかいっぱい食べた。沢山できたので、隣家にもお裾分けした。

連休が終わった23日は、かねてから行ってみたかった「岩塚製菓北海道工場」の「千歳直売店」に、ドライブを兼ねて行ってみた。「直売店」は住宅街にあり、普段私が好きで食べている各種の「かき餅」類が、中や大の袋詰め、または小型の箱詰めになって売られていた。小売店で売っている少量ずつの「個別包装」ではない分、格安価格になっていた。段ボール箱1個分まとめて買って来て隣家にも差し上げた。

菜園の仕事では、いつもの隣家との境界に「ニンニク」をややV字型に植え付けた。余り大きな「種球」は駄目らしいが、今年は中くらいのが少なく、40片やっと選んで植えた。

「ダリア」の小枝(脇芽)が横に張り出して通路を塞いでいたので切った。

「小紫」の枝が繁茂していたので外側の枝を根元から切った。

また、枝が伸びて気になっていた「ムクゲ」2本の枝を半分の高さに剪定した。自分の手が届かなくなる木は、管理ができなくなるからだ。土手から歩道にせり出すように伸びた「玉流」を2本、根元から切って処分した。

まだまだこの時期にしなければならない仕事はあるが、とりあえず連休中にこれだけの事ができた。

 

 

 

 

 

 

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伯母の夢を見た

2020年08月20日 | 日記

今朝明け方、久し振りで伯母の夢を見た。

「伯母と二人で買い物に出て、帰る時にバスに乗った。伯母が住んでいた家の傍のバス停に着いたので、下りようとして横の伯母に手を差し延べた。すると伯母がいないのだ。そうだ。伯母を乗ったバス停に置いてきてしまった様だと気づく。でも大丈夫だ。伯母は迎えに戻らなくてもタクシーで来るに違いないと考える。だが、目が見えなくなった伯母が、どうやって一人でタクシーに乗れるのだ。お金も全く持っていないのにと、伯母の事を心配して絶望的になる。」そこで目が覚めた。

余りにもはっきりとしている夢だったので、すぐには夢だったとは思えなかった。

どうしてこんな夢を見たのだろうか。お盆の終わりに夢に来てくれたのだろうか。分からないが、夢でも会えて嬉しかった。

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今年も「水芭蕉」」に会えた

2020年04月22日 | 日記

昨年は、4月20日に友人と水芭蕉公園に行き、満開の「水芭蕉」を見た。

今年は雪解けが早かったので、「水芭蕉」の開花も早いのではと思っていたが、20日は結構な雨降りだったので行くのを止め、昨日、21日の午前中に友人と誘い合って見に行った。

霧雨が降っていたが「水芭蕉」はまだ5分咲き程度。まだこれからという感じに思えた。雪解けが早くても、気温が低い日が続いていからかも知れない。しかし、雨の日の後なので水が澄んでいて、色も綺麗だった。

開花している栗色の「座禅草」はまだ少なく、その大半は遊歩道からは背中しか見えなかった。

2年前には、ここに伯母も連れて来て、「夏の思い出」の歌を大声で合唱した事が思い出された。

今年は世界中が「新型コロナ」騒動のまっただ中で、毎日暗いニュースばかりだが、霧雨の中に佇む水芭蕉を今年も友人と鑑賞でき、少しだけ心が癒やされる良い時間を持てた。

まだ「新型コロナ」感染の終息が見えない今は、身近なところでささやかな楽しみを見いだすことが大切だと思えた。

 

 

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手作りマスクに挑戦してみた(3)

2020年03月20日 | 日記

まだ「手作りマスク」の話が続く。

実は昨日、100円ショップにマスク用のゴム紐を捜しに行ったが、幅が細いゴムは品切れだった。保育所や幼稚園、小学校の子供がいる母親は、きっと可愛い色柄の木綿布を買って来て、マスクを作っているのだろうなと思った。

その店で色物のマスクをしている女性を見かけた。「そのマスク、手作りされたんですか?」と聞くと、嬉しそうに「そうです。今日はゴム紐を買いに来ましたが、無いですね。」と言っていた。

ふと、手芸用の布地が下がっている場所を見たら、色々な色柄の布地があった。綿100%でベージュ色の無地の布地があったので、2つ買って来た。1つ45cm×90cmで110円だった。

娘が毎日働いているので丁度良いのではと思い、朝、水につけてから乾かし、アイロンを掛けた。

そして先ほど1枚の布地から何と5枚のマスクを作った。布地を細長い筒状の形にしてから2つに折って作る簡単な方法で、あっという間に布地が4枚重なった「平面マスク」が出来上がった。1枚当りのマスクの生地代は、僅か22円にしかならない。ゴム紐代を入れてもたかが知れている。(但し、私の手間賃は高い筈だが…)

娘が来た時に、今まで作った「立体マスク」と合わせて、これだけの布地マスクを渡す事にした。毎日取り替えながら働くと気持ちが良いのではと思うが、果たして使ってくれるかな?

 

 

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