花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

初冬の道北に行った(2日目)

2008年11月10日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

2日目は8時半にホテルを出発し、海沿いの道を北に走り、程なくアザラシが生息する「抜海港」に着いた。
バスから降りると、強い冷たい風が吹き、波の花が舞っていた。写真①の足元にあるのが、飛んで来た波の花だ。
岸壁から30m位離れた海の中から20~30匹のアザラシが顔を出しているが、遠すぎてよく見えない。天気が良ければ、もう少しはっきりと見えるのかも知れない。
展望ハウスの中に入ると、「今日のアザラシは61頭」と書いた観察記録が貼ってあった。

 写真① ②

次の観光場所は稚内温泉だった。新しい大きな施設で、温泉に入った後、カラオケやゲームをしたり、マッサージをする設備も充実していた。この温泉の湯は透明だった。地元の老女が「船で来るロシア人は、自転車を持って行ってしまったり、店で商品をポケットに入れたりして困る。」と話していた。私は、「その内できたらここからフェリーでサハリンに行ってみたい。」と話した。
温泉を出て、レストランでソフトクリームを食べた。美味しいクリームだった。

次いで日本の最北端「宗谷岬」に行った。ここも飛ばされそうな強風で寒く、じっとしていられない天候だった。
波も高かったが小型の尾白鷲やかもめが飛び交っていた。
もし晴れていたら、海の向こうに利尻富士やサハリンが見える筈だが、残念だった。

 ②

そこからバスはオホーツク海に沿った国道を南下し、「猿払村」のレストランで昼食を取った。ここは帆立貝の稚貝放流事業で現在は水揚高日本一の町だと言うので、私はホタテのフライ丼を注文した。新鮮なホタテ貝がたっぷり入っていて美味しかった。
またレストランの建つ前浜オホーツク海は、1939年(昭和14)には、ロシア船インデイギルカ号が沖合いで座礁し、村民達が多くの命を救った場所であり、また、1983年(昭和58)には、撃墜された大韓航空機の遺体・遺品が流れ着いた所でもある。

さらにバスは、「猿払」から30km程南下した所にある「クッチャロ湖」に立ち寄った。この時期にシベリヤから飛来する白鳥が、羽根を休めているのを見るためだ。
餌の食パンを売っている人がいて、買って投げると鳥達が大勢集まるのだ。野生の鳥とは思えない人慣れした鳥達だった。白鳥を初めて見た妹は感動していた。白鳥に混じって鴨も沢山いた。
私は、数日前のTVで、野生の鳥には餌をやったり近づいたりしないように、と言っていたのを思い出した。鳥インフルエンザの感染を防ぐためと、野生の鳥の逞しさを守るためだと言っていた。私は、観光客がやる餌で、もしもこの場所の居心地が良くなり、いつまでもクッチャロ湖に留まろうとする鳥が出ないか心配した。

 ③

全ての観光を終えて、バスは札幌に向かった。内陸部では山や野に雪が白く残っていた。
道北は、子ども達が小学生の頃、夏休みにキャンプをしながら車で回った事があったが、今回のツアーは、たまたま初冬の悪天候とぶつかり、大自然の雄大さと厳しさを強く感じた旅になった。
札幌に着いたら8時半を過ぎていた。


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初冬の道北に行った(1日目)

2008年11月10日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他

8日朝、起きてみたら、気温は1度、昨夜からの風雪で庭は真っ白になっていた。
この日、妹と1泊2日の道北行きバスツアーを申し込んであったので、ダウンのオーバーコートを着、兎の襟巻きを首に巻き、手袋をして出かけた。道路の雪は溶けていたが、凍結することを考えて滑らない冬靴を履いた。

参加者が48名もいて、バス1台ぎっしりだったが、私達は申し込みが早かったらしく前列の座席が用意されていた。
バスは7時50分、札幌を出発し、強い風と時折降る雪の中を日本海沿いに北に向かって走った。途中、5~6mもあるような波が幾つも防波堤を超えて来たし、道路には白く大きな泡粒も沢山飛んで来て、バスのタイヤが滑らないかと恐ろしかった。

午後3時過ぎに、やっと稚内の南三十数キロに位置する日本最北端の温泉として有名な「豊富温泉」に着いた。そこが宿泊場所だ。
到着すると町の観光協会が主催する歓迎のセレモニーがあった。
会長さんの話では、この温泉は大正末期に石油の試掘をしていた際に天然ガスと共に噴出したのが始まりとの事。泉質はナトリウム塩化物泉で、湯は黄色く濁っていて、石油臭がある。近年、アトピーや乾癬などの皮膚病に効くと言われるようになり、湯治客も多いそうだ。

その後、サロベツ原野の四季折々の自然を写したビデオ映像に合わせて、オカリナ、ケーナの演奏があった。演奏するのはタレントの大泉さんのおじだと司会が紹介した。その独特でどこか物寂しく、また懐かしく素朴な音色に、旅の疲れが癒された。(写真①演奏風景)

演奏が終わると、外れがないビンゴゲームがあった。景品は豊富町の特産物で、1位が大きい箱に入った豊富産のお土産セット、2位がハムセット、3位が山菜セット、4位が鹿肉の缶詰1個、5位がハマナスのジャム1個、6位がスイートコーン1本だ。それぞれ数個ずつ用意されていた。
比較的早くビンゴになった私には、山菜セットが当たった。渡された小型のダンボールが凄く重い。
宿で開けて見たら、茹で蕗のパック詰め5袋、茹で竹の子2袋、スイートコーン2本が入っていた。水が多い為に重いのだ。
鹿肉の缶詰1缶しか当たらなかった妹にも分けたら喜ばれた。(写真②山菜セットに入っていた山菜)

夕食のメインは蛸のしゃぶしゃぶ料理だった。ゴマダレと酢醤油が付いていたが、ゴマダレで食べたら美味しかった。その他の魚介類も新鮮で美味しかった。(写真③夕食のお膳)

食後、温泉に入った。ドアを開けて浴室に入ると、まず石油の匂いがした。黄色く濁った湯のあちこちに油膜が浮いている。本当に珍しい温泉だ。しかし、肌がつるつるになり体が良く温まった。
妹と一しきり話したり、TVを見てから寝た。時折、強風と共にバラバラとひょうが降っていた。

 ① ② ③






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