13日の夕刻、ローマから11時間余りの飛行で(本当は12時間10分の予定だったが、離陸が遅れた。しかし、スピードを出したらしく、遅れは取り戻せた)14日に無事成田に着き、羽田に回って千歳空港、そして自宅と帰って来た。
直前にまたアイスランドの火山が噴火したらしいが、ローマ空港には影響がなくラッキーだった。
今回は往復、アリタリア・イタリア航空だったが、行きの飛行機はトイレの近くの天井が下がっていたし、帰りの飛行機は座席の一部が壊れていて、ガムテープで補修されていたのに驚いた。日本ではあり得ない状況だったが、エコノミー席は意外とゆったりしていて楽だった。
帰宅して近所の方に聞くと、北海道は留守中ずっと気温が低かったらしい。札幌近郊の桜も帰国した14日にやっと満開になったので、思いがけず近所の花見にも間に合った。
10日も留守にしたので、庭の手入れや用事、留守中録画したドラマの視聴などで2日が過ぎた。
そんな訳で、これから少しずつ旅日記を書くことにする。
《ポジターノとアマルフィー》
まず旅の初日の5日、成田空港13;20発の飛行機で12時間40分乗り、予定通りローマ空港には19;00に着いたが、まだ明るかった。(イタリアも夏時間で日本との時差は7時間だった)
スーツケースを受け取ってから直ぐにバスで30km離れたローマ郊外の新市街ポメツィアに行った。途中20;10に日が沈んだ。
広い庭があるホテルに着き、広々とした部屋で長かった1日目の疲れを癒した。(時差があるため、最初の日に限って私は睡眠導入剤を飲むことにしているので、ぐっすり眠られた)
夜明け近くに雷が落ちる大きな音で目が醒めた。1時間ほど、スコールが降ったが出かける時には上がり、ラッキーな旅の始まりとなった。写真①ホテルの窓からポメツィアの町を写す
午前中、バスは300km離れたアマルフィー目指して走った。
途中のレストランでの昼食は、写真の通り前菜②、ピッツアマルゲリータ③、ケーキだった。ピッツアは美味しかったが1人分30cmもある大きさだったので多くの人は真ん中だけ食べて大半を残した。ケーキは凄く甘かった。私は食後にカフェオレ④を注文した。
壁にベスビオ火山噴火の大きな絵が飾ってあった。⑤
① ②
③ ④
⑤
その後バスで右手にティレニア海に突き出しているソレント半島を見ながらアマルフィー海岸に到着し、まず最初は、ポジターノの町の展望台に降りて写真を撮った。
ポジターノは、真っ青な海岸から山に向うきつい傾斜に沿ってぎっしりと家々が立ち並んでいた。その中に教会らしき建物も見えた。
町並みは美しいが、坂だらけの町で毎日暮らす漁民や商人には、さぞ大変だろうと思った。⑥
⑥
それから海岸線に沿った狭いジグザグ道をやっと抜け、アマルフィーの町に着いた。自由時間に友人と広場を見下ろすように立てられたドゥオモ⑦と広場周辺⑧、海岸を散策した。
古く海上交易で栄えた町のドゥモにはマリア像があった。⑨ 日本映画「アマルフィー 女神の報酬」の女神は、この像かも知れないと思った。
⑦ ⑧
⑨
最後に海岸の遊歩道から町を見上げて写真を撮った。⑩ 今回の旅の間に、傾斜地にへばり付いて家々が並ぶ似た様な町を沢山見た。
⑩
温暖な気候のため、近郊ではレモンが特産で、バスからもレモンや柑橘類の木が見られたし、レモンアイスクリームやレモン酒が売られていた。
往復30km近い海岸線のカーブがきつかったため、バスに酔った人が多かった。
直前にまたアイスランドの火山が噴火したらしいが、ローマ空港には影響がなくラッキーだった。
今回は往復、アリタリア・イタリア航空だったが、行きの飛行機はトイレの近くの天井が下がっていたし、帰りの飛行機は座席の一部が壊れていて、ガムテープで補修されていたのに驚いた。日本ではあり得ない状況だったが、エコノミー席は意外とゆったりしていて楽だった。
帰宅して近所の方に聞くと、北海道は留守中ずっと気温が低かったらしい。札幌近郊の桜も帰国した14日にやっと満開になったので、思いがけず近所の花見にも間に合った。
10日も留守にしたので、庭の手入れや用事、留守中録画したドラマの視聴などで2日が過ぎた。
そんな訳で、これから少しずつ旅日記を書くことにする。
《ポジターノとアマルフィー》
まず旅の初日の5日、成田空港13;20発の飛行機で12時間40分乗り、予定通りローマ空港には19;00に着いたが、まだ明るかった。(イタリアも夏時間で日本との時差は7時間だった)
スーツケースを受け取ってから直ぐにバスで30km離れたローマ郊外の新市街ポメツィアに行った。途中20;10に日が沈んだ。
広い庭があるホテルに着き、広々とした部屋で長かった1日目の疲れを癒した。(時差があるため、最初の日に限って私は睡眠導入剤を飲むことにしているので、ぐっすり眠られた)
夜明け近くに雷が落ちる大きな音で目が醒めた。1時間ほど、スコールが降ったが出かける時には上がり、ラッキーな旅の始まりとなった。写真①ホテルの窓からポメツィアの町を写す
午前中、バスは300km離れたアマルフィー目指して走った。
途中のレストランでの昼食は、写真の通り前菜②、ピッツアマルゲリータ③、ケーキだった。ピッツアは美味しかったが1人分30cmもある大きさだったので多くの人は真ん中だけ食べて大半を残した。ケーキは凄く甘かった。私は食後にカフェオレ④を注文した。
壁にベスビオ火山噴火の大きな絵が飾ってあった。⑤
① ②
③ ④
⑤
その後バスで右手にティレニア海に突き出しているソレント半島を見ながらアマルフィー海岸に到着し、まず最初は、ポジターノの町の展望台に降りて写真を撮った。
ポジターノは、真っ青な海岸から山に向うきつい傾斜に沿ってぎっしりと家々が立ち並んでいた。その中に教会らしき建物も見えた。
町並みは美しいが、坂だらけの町で毎日暮らす漁民や商人には、さぞ大変だろうと思った。⑥
⑥
それから海岸線に沿った狭いジグザグ道をやっと抜け、アマルフィーの町に着いた。自由時間に友人と広場を見下ろすように立てられたドゥオモ⑦と広場周辺⑧、海岸を散策した。
古く海上交易で栄えた町のドゥモにはマリア像があった。⑨ 日本映画「アマルフィー 女神の報酬」の女神は、この像かも知れないと思った。
⑦ ⑧
⑨
最後に海岸の遊歩道から町を見上げて写真を撮った。⑩ 今回の旅の間に、傾斜地にへばり付いて家々が並ぶ似た様な町を沢山見た。
⑩
温暖な気候のため、近郊ではレモンが特産で、バスからもレモンや柑橘類の木が見られたし、レモンアイスクリームやレモン酒が売られていた。
往復30km近い海岸線のカーブがきつかったため、バスに酔った人が多かった。