昨日は札幌の妹も来て、伯母と3人で岩見沢の墓参りに行く事にしていた。
12時少し前に妹をJR駅前で待っていると、南西の空に一気に真っ黒い雲が広がり、あっという間に町を覆った。
妹が来て、一緒に車で伯母の施設に向かっていると、雷が立て続けに鳴り出した。
そしてたたき付ける様な豪雨が降って来た。
伯母の昼食が済んで出かけようと2階から1階に降りると、事務員さんがスマホの天気図を見せてくれた。
地図の上のわが町が真っ赤になっていた。
「今出たら危険だから、雨がもう少し落ち着くまで待った方が良い。」とのアドヴァイスを得て椅子に座った。
振り出して40分、ようやく小降りになったので車を出発させた。
私の市だけの集中豪雨だった様で、道路に溜まった水が車の屋根まで跳ね返る凄い量。
タイヤが滑ったら大変なので、ゆっくりと走った。
市を出たら雨は完全に止み、青空が広がっていた。何とこちらは全く雨が降らなかったらしい。
順調に岩見沢に着き、母方の先祖代々の墓に行った。
昨日は、墓参りに来ている人はまだまばらだったので、車を墓の傍の駐車場に停めることができて、一人では歩けない伯母には良かった。
庭から切った「白いカサブランカ」「赤紫のリアトリス」「ピンク薔薇のアイスバーグ」「白いジギタリス」で花束を作ったのを飾った。ビール、お菓子などのお供えを供したが、残念ながら風が強くて、ろうそくにも線香にも火を点けることができなかった。
伯母はお経を唱え、その墓で眠っている人達の戒名を読み上げた。流石だ。
そして墓前で「この度引越しをし、姪に世話になっている。」ことを報告していた。
また、私達の母の命日でもある9月の彼岸に来ようと言って、墓参りを終えた。
それから伯母の用を足しに2軒の場所に立ち寄り、最後に伯母が2週間前まで過した「高専賃」に行った。
伯母と仲良くしていた友人Sさんが部屋にいたので、玄関まで来てもらった。2人はお互いに「毎日、思い出しているよ。」と、まるで抱き合うようにしながら、話をしていた。
私は「退去届け」に印鑑を押して、退去の事務的処理を全て済ませた。
伯母と友人の話を終らせるのは酷に感じたが、「又、来ようね。」といって席を立たせた。
伯母は少し前まで自分で作り、今はSさんに引き継いだ畑を見たいというので、車でその前をゆっくりと通った。
ミニトマトが色づき、私が植えた薔薇「アンジェラ」が二番花を咲かせていた。
また1時間弱走って、伯母の施設に戻ったが、伯母は「今までなかったほど、腰が痛い。」という。久し振りに長距離を車で往復したためだろう。
もう伯母を墓参りに連れて行くのは、無理かも知れない。やはり95歳なのだと思った。
札幌に帰る妹をJRの駅まで送り、朝採って車に積んでおいた野菜類の「ミニトマト」「モロッコ」「じゃが芋」を渡した。
帰路農園に寄った。
手無し隠元は豪雨の泥はねで泥だらけ、トウモロコシは斜めに傾いていた。そのままにしたら受粉ができないので、立て直した。
隠元豆を沢山収穫したが、木が倒れた物は豆が土に付いたためか虫に食べられていた。やはりこんな事があると、手が必要な隠元豆の方が良いことが分かった。
今朝、庭を見たら、トマトが倒れていた。またモロッコの竹も傾いていた。土砂降りで土面が柔らかくなったので作物の重みで傾いてしまったのだろう。直さなければ…