花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

海外旅行「マレーシア・シンガポールの旅」(6)

2016年03月08日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪陸路で「シンガポール」へ国境を越える≫

ヨーロッパのEU加盟国では、国境を越すのに何も検査は無いか、またはパスポート検査程度で終る。しかし今回は、EU以外の国を陸路で渡って隣国「シンガポール」に行くという初体験をした。
先ず「マレーシア」を出国するための税関には、一般車輌6列、バス1列のレーンが作ってあり、物凄い数の車輌が続いていた。私達の大型バスは、左側のバス専用レーンから税関前に行った。

乗客はバスから降りて1人ずつパスポートと入国時に空港で受け取った「入国カードの半券」を持って並んだ。無事に税関を通過して出国すると、待っていたバスに戻り、少し行った所で今度は「シンガポール」側のバスに荷物ごと乗り換えた。ここで現地ガイドも代わった。

次に「シンガポール税関」の建物の前でバスから降り、各自、全ての荷物とスーツケース、パスポートを持って「シンガポール税関」の入国審査を受けた。
その際、両手の人差し指の指紋を登録させられた。
それが済むと全ての荷物のX線検査を受け、OKが出て初めて入国できた。中には荷物を開けられる場合もあるそうなので緊張した。
ちなみに「酒」「タバコ」の持込には税金が取られるのだという。
ここまでに1時間かかったが、陸続きの他の国にはない興味深い体験だった。


バスに全員戻って走り出すと、そこはもう面積が715.8k㎡と淡路島ほどしかない小国「シンガポール」だった。
「シンガポール」は中小の島々でできた人口531万人(2012年)の国で、「マレーシア」とは「ジョホール水道」に架けられた2本の橋で繋がっている。


         
橋を渡ると間も無く工場地帯に入り、工場や住宅が見えて来た。
 

          

中心部に着くころ、既に日が傾きかける時間だったが、2箇所の観光をした。

①「ラッフルズ卿の上陸地点」
昔「シンガプーラ」(椰子の町)と呼ばれ、小さな漁村に過ぎなかったこの地に、1819年に「トーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿」が上陸して、ここに「イギリス東インド会社」の中継港を建設することにし、名前を「シンガポール」と改めたのだった。これが現在のシンガポールに発展したスタートだった。
今では「シンガポール海峡」から湾に入ったその辺りには、近代的な高層ビルが建ち並ぶ中心地になっている。
向こう岸の赤い屋根の低い建物は、中国人が多く住んでいるという。
「ラッフルズ卿」が腕組をする像は、湾を背にしていた。傍に「プルメリア」の白い花が咲いていた。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海外旅行「マレーシア・シンガポールの旅」(5)

2016年03月08日 | 海外旅行「東南アジアⅢ」マレーシア、シンガポール

≪4日目は世界遺産「マラッカ」観光≫

この日は「クアラルンプール」のホテルを8時に出発後、前日、公開時間切れに間に合わず見学できなかった「国立回教モスク」に向い、9時からの公開に真っ先に入った。
私達は予め長袖、長ズボン、髪を包むスカーフを身に着けていたためそのまま入場が許されたが、入り口にそうでない人たちが借りる衣装が用意されていた。
その時間信者も少なく、信者で無ければ入れない祈りの場所は仕切りの上部から写した。
 
 


その後、「マラッカ」を目指して南に走った。道路の両側に「椰子の木」の畑が延々と続いた。
            
ガイド氏は「この木から椰子油(パームオイル)が抽出されます。木はインドネシアから移植されて増やされたものです。」「椰子油は健康に良いので、世界中に輸出されています。」という説明があった。
それに対し私から「椰子油には飽和脂肪酸が多いので、他の植物油に比べて酸化、変質しにくく加工食品に多く使われる様になったが、他の植物油よりコレステロールが多く含まれるので、決して健康的とは言えない。」と反論した。
その後個人的にガイド氏に「椰子油は、ポテトチップスなどのスナック菓子に多く使われ出したので、アメリカの子ども達のコレステロール値が中高年並みになり、問題視されているとの事です。」と話した。

「クアラルンプール」を出て2時間後に「マラッカ」に着いたが、この日も晴天で気温は32℃程度。
以前に来た時と同じく「オランダ広場」「マラッカキリスト教会」「セントポール寺院」「サンチャゴ砦」を見学した。
今回は現地ガイド氏が説明不足で、景観以外はあまり記憶に残らなかった。

 
      (オランダ広場の「マラッカキリスト教会」と「時計塔」)
 
(屋根が失われた「セントポール教会」は、ユネスコの指示で補修されていた)(日本人牧師の墓石もあった)
 
(ポルトガルがオランダの侵攻に備えて1511年に作った「サンチャゴ砦」の門と大砲、傍に咲いていた花)

(運転手が思い思いに飾り付けて客を乗せる「自転車タクシー」)

昼食は「ニョニャ料理」だった。これは中国から来た男性と結婚したマレーシアの女性が、夫のために作った両国の合作料理だという。美味しかった。

昼食後はすぐ傍の雑貨店で、30分程の買い物時間があった。私がこの店を訪れるのは2度目だったので、以前に買って美味しかった「カレールー」や「ココナツオイル」を親しくなった人達に紹介した。
この店が「マレーシア」最後の買い物のチャンスだったので、皆お金を使い切っていた様だった。私は残っていた僅かなお金を使い果たすために石鹸を1つだけ買った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする