花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「2度目のオーストラリアの旅」(9)

2017年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪5日目は「メルボルン」へ≫
早朝ホテルを出て、パース空港から8時発の「メルボルン」行きに搭乗。3時間35分の飛行で14時35分に東南の海岸にある街「メルボルン」に着いた。
時差が+3時間なので、時計を3時間早めた。

「メルボルン」は「オーストラリア」第二の都市だ。庭園が450もあり、「庭園都市」とも呼ばれる。

①「キャプテン・クックの家」
市内はバスからの窓外観光だったが、「キャプテン・クックの家」を見学した。
この家は「キャプテン・クック」が生まれたイギリスヨークシャーの木造の家を移築したもので、19世紀の生活様式が分かる。(家の管理状態が悪く埃が積もり、乱雑だった。2階に資料室があった)
庭に身長が191cmあったという彼の等身大の銅像が立てられていた。また19世紀のイギリスの家庭では、庭にハーブや野菜を植えて自家用にしていたというが、その様な庭も作られていた。

 

 



「キャプテン・クック」の本名は「ジェームス・クック」(1728・10・27~1979・2・14)彼はイギリスの航海士であり探検家、測量士だった。
1770年4月20日「エンデバー号」で航海中に「オーストラリア」の南東海岸に到着し、アボリジニーとも接触した。
1772年軍艦「レゾリューション号」で航海、8月22日「オーストラリア」東岸の英国領有を宣言した。またこの航海では、船員に柑橘類、キャベツの酢漬け「ザワークラフト」「トモシリソウ」(ニュージーランドホウレン草の事)などを食べさせ、世界で初めて壊血病による死者を0にしたという。
1973年1月には、ヨーロッパ人として初めて南極圏にも突入したが、気候的に人間が住めないと判断して引き返している。
1779年の航海で、2月14日、ハワイ島「ケアラケクア湾」で先住民との諍いが起き、その最中に殺された。50歳だった。
彼は6人の子どもを設けたが、孫は一人も生まれなかったため子孫はいない。

彼の死後、1778年、イギリス最初の流刑者が「シドニー湾」に到着し入植が始り、今に至っている。
この背景には、アメリカの「独立戦争」があり、流刑地を失ったイギリスが新たな場所を「オーストラリア」に求めたのだ。
2013年3月の人口は2294万人で、欧州系が大半を占めるが、中東系、アジア系も多い。人口の85%以上が、海岸線から100km以内に住んでいる。




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「2度目のオーストラリアの旅」(8)

2017年12月04日 | 海外旅行「オセアニア」オーストラリア
≪「ピナクルズ」の夕日鑑賞≫

「ワイルドライフ・パーク」を40分程見学した後、一路「ピナクルズ」を目指した。
途中、「塩の山」を見た。地中から次々と塩が吹き上がって来て、畑や林を浸食して行くのだと言う。農地を失った農民もいるらしい。植林をすればいいのかどうか私には分からなかった。



やがて、バスが止まり、低い潅木林の中を歩いて行くと、突然背が低い石の林が現れた。「ピナクルズ」だ。
赤い夕日に染まった赤い景色だった。「荒野の墓標」と言われているらしいが、それがピッタリ来る景色だった。
この景観は、数万年前、この地域が海底だった時、細かく削られた貝殻などが堆積して石灰岩層が作られていた。やがて陸地となり、長い年月の自然の風雨で浸食されて今の景観が生まれたという。つまり、今も刻一刻と形を変えて行っている訳だ。

さらに砂地を先に進むと、少し背が高かったり、台座の様になっていたりと面白い景観が広がっていて、観光客も多くいた。
写真を撮っている間に、夕日が勢いを増して沈んで行った。空の雲が夕焼けに染まった。
真っ暗くならない内にバスに急いだ。







          

3時間かけて「パース」に戻る途中の「ピナクルズ・モーテル」で、夕食を食べた。メニューは「カボチャのスープ」「ステーキ」「ヨーグルトケーキ」だったが、スープがぬるくて不味かった。
そこを出発して間も無く、人工的な明かりが無い場所でバスから降りて、星空を仰いだ。無数の南半球の星々が美しく輝いていた。うっすらと「天の川」も見えたが、時期的に「南十字星」は見えなかった。

前に「シドニー」で三日月を見た時、北半球と南半球とでは三日月の見え方(形)が同じなのかどうなのか、疑問が湧いた事があった。今回ガイドに聞いてみると、「北半球で右端に見える三日月は、赤道付近では下に寝ているように見え、その時南半球では左端に見えるのです。」と教えてくれた。

翌朝は3泊した「パース」から「メルボルン」に戻る。朝早いので、スーツケースを整理して早々に寝た。
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