私が伯母を家に迎えてから2年程になるが、この間、十数年、時々一緒にパークゴルフを楽しんで来た札幌の従姉とは、滅多に会えなかった。
そこでゆっくりと慰労会をしようと私がお膳立てをして、今回二人で道南の「登別温泉」に出かけた。
2日日曜日に札幌駅で待ち合わせ、2時発のホテル専用のバスで温泉に向った。バスは満席で、ホテルに着いたのは4時近く。もう薄暗くなっていた。
ホテルは老舗の「登別第一滝本館」だった。
このホテルは、江戸時代末期の1858年に「登別温泉の祖」と言われる「滝本金蔵」が初めてこの地に開湯した宿に始っている。だから、名所の「地獄谷」にも一番近い場所に建つ。
「日露戦争」の時は、「傷病兵の保養地」になったという。
地勢的な背景をネットで調べて見た。
登別温泉から2km東にある周囲8kmのカルデラ湖「倶多楽(くったら)カルデラ」は、今から約8万年~4万年前の火山活動でできたらしい。周囲は高さ500mの外輪山に囲まれ、川がないため水が澄み、透明度2位の湖だ。(1位は道東の「摩周湖」)
また1.5万年前に始った火山活動で「日和山」に溶岩ドームが形成され、約8000年前には水蒸気噴火が繰り返し起きて、今も見られる「地獄谷」や「大湯沼」ができたという。
「地獄谷」は面積11Ha、直径450mの爆裂火口で、無数の噴気孔から最高98~45度の熱湯が1日1万t、毎分3000リットル出、水蒸気が噴出して、「登別温泉」最大の源泉になっている。
ここから出る湯には、異なった9種類もの泉質があり、「温泉のデパート」と言われているらしい。
「硫黄泉」「食塩泉」「明礬泉」「ボウ硝泉」「緑バン泉」「鉄泉」「酸性鉄泉」「重曹泉」「ラジウム泉」だ。
「支笏洞爺国立公園」に指定されたのは1949年で、1998年には「非核平和都市宣言」をし、2004年には「北海道遺産」に指定された。
昔、母に聞いた時、「登別温泉」は私達の一世代前の人達の新婚旅行のメッカだったという。
この8500年間を調べると、700年に一度の割合で水蒸気噴火が起きているらしい。
夕食前に一回目の入浴で9階の部屋から「大浴場」に向った。増改築を繰り返したらしく、客室から「大浴場」まではエレベーターを2回も乗り継いだ。
このホテルには、私が5年前に友人たちと来たのが最後だったが、迷いそうになる程広かった。従姉は「一人では来れない。」などと言っていた。
浴室の浴槽も泉質ごと、温度ごとに分かれていて、実に広々としていて気持ちが良かった。
夕食は、広い会場で、ほぼ満席状態だった。テーブルは部屋ごとに決まっていた。
蟹足、海老、マグロ、ブリ、しょうゆ漬けイクラ、蛸、ステーキ、海老の天麩羅など、実に多彩で味付けにも拘った料理が並んでいて、私はその半分も食べてみる事ができなかった。最近行った3回の温泉ホテルの中で最高だった。(宿泊代も最高だが)
部屋で遅くまで会話して、寝たのは1時頃だった。
6時半に起きて朝風呂に入り、温まった体で朝食会場に行った。
朝もバイキングだったが、料理数が豊富で美味しかった。
早めにチェックアウトをして外に出ると、「赤鬼・青鬼」像が道路の傍にあった。鬼はこの温泉のシンボルだ。
従姉は魔除けになるといって、お土産に「赤鬼のストラップ」を買っていた。
ホテルのすぐ傍の「地獄谷」に行き、展望場所で雄大な火山の噴気活動を見た。何時見てもこの景観は、絶え間なく続いている地球の生々しい活動を見せ付けてくれる。
一般駐車場には大型バスが何台も止まっていて、行き交う人々は東南アジアの人達が多かった。
スカーフを被った女性と会ったので、「失礼ですが、インドネシアからですか?」と聞くとそうだった。数年前に私が観光で行ったことを話した。お互いに写真を撮り合って分かれた。
東南アジアから、多くの人達が北海道に観光で来る事はあり難い事だ。今は、国が行う「震災復興割引き」で安く来られるのかも知れない。
10時にホテルを後にしたバスは、札幌駅に11時半過ぎに着いた。疲れていたのでそのまま従姉と別れて帰宅した。
今回、久し振りに従姉と長い時間を共にしたが、80歳の彼女の記憶力が低下していた事に驚いた。日本の高齢者は人生100年時代を迎えているので、彼女にはまだまだ元気でいて欲しいのだが、残念な気がした。
彼女には、その内に「物忘れ外来」がある病院に行くことを進めた。
彼女とは外国旅行も2~3回しているが、もう一緒の外国旅行は無理かもしれないと思った。
ショックだったので、夜、メールで娘にそのことを知らせた。「脳トレしたらいいよ。」という返信が来た。
今年の宿泊を伴う外出はこれで終り、後は毎日、伯母の見守りだ。