トロギールから30分かけて第2の都市、港町スプリットに向った。
ここでは世界遺産・ディオクレティアヌス宮殿を観光した。
この宮殿は、3世紀の半ばに広大な領土を持ったローマの大帝となったディオクレティアヌスが、やがて59歳で自ら引退した後に建て、人生の終わりを過ごした邸宅なのだった。
当時は約200m四方を高い城壁で囲み、城壁に4つの門(北門、南門、東門、西門)を作って出入りしていたらしい。
現在はアドリア海沿いに広い道路が1本あり、古い城壁を利用して町が作られている①が、当時南門は直接海と繋がっていたという。
廃墟となった場所に長い年月を越えて色々な人達が壁や柱を利用して住み着き、独特な今の町が形成されたのだそうだ。
城壁内は中庭を中心に4つの領域の建物に分かれていたらしい。
中庭から南方の大帝の居住区に入る玄関がローマ時代の彼の存在を今に伝えている。②
玄関を入ると広間があり、天井は円形の吹き抜けになっている。③
そこで男性グループが観光客に歌を披露してCDを売っていた。④
心地良く聞ける歌だったが誰も買わなかったので、私はチップを渡して来た。
中庭には大帝の陵墓だったという場所が、今はキリスト教教会が建っていて、60mある鐘楼も立派だった。⑤
(実は彼はキリスト教を迫害した最後のローマ皇帝だったという。ローマはその後、キリスト教に融和政策を取って行ったのだから、歴史は面白い)
① ②
③④⑤
土台が沈下して今は半地下のようになっている邸宅の広い通路では、観光客相手のみやげ物屋が営業していた。
当時の宮殿の一部である穀物倉庫などを見学したが、石組みが地震でもずれない様に考えられていたり、⑥ 天井が高く、換気口も作られている事に感心させられた。⑦
⑥ ⑦
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この石組みの壁、日本の城の石垣も同じような構造になっているところがあります。やはり地震に備えた石組みというのは似てくるのでしょうね。
隠居生活を高い壁に囲まれて過ごすのって、ちょっと嫌かも(笑)
その分、贅が尽くされていたのかもしれませんね。
この建物一つにも多くの人間がその時代に合わせて様々な歴史を刻んできたのかと思うと感慨深いです。
大帝は隠居後も権力者に復帰するように請われたそうですが、キャベツを作る園芸の毎日に勝る生活は無いと言って断ったらしいですよ。(一部は私に似ています)
きっと下男下女が沢山いて、優雅なセカンドライフだったと思います。(ここは私と全く違う)
きっと最高権力者の座を、あっさり捨てた理由が何かあったのかもしれませんね。