霜後集落では総会等で自分の意見を述べる人は殆どいない。
勿論、意見を持っていない訳ではなく個人的に一対一で話す場合は本音を話す人が少なくない。
しかし、全体の場でその意見が述べられることは「全くない」と言っていい。
それは常に体制派、多数派に身を置いて我が身の安全を守ろうとする「田舎特有の保守的風土」がそうさせている
ものと受け留めていた。
ところが、数年前に達古袋地区の集会に出る機会があったが、その時は収拾が困難なぐらい(玉石混淆の)色々な
意見が出たのに驚かされた。
意見を述べない風土は「霜後集落特有のもの」とその時に初めて知った。

(選別を終えた黒平豆。大豆は選別に時間がかかるのが課題。)
それは、狭い盆地の小さな集落であることが起因しているのかもしれない。
しかし、今は皆兼業農家となり外で職に就いていることから「世間の常識」を知らない訳ではないはず。
にもかかわらず、集落内では「非常識」が横行し「批判もされず責任も負わず」が罷り通る「不思議な世界」が
出来上がっている。
以前、集落内では補助金や障害者年金を不正に受給したりすることがあったという、
今でも書類のやり取りだけの「耕畜連携」が噂されているし、不正は「やったもん勝ち」の様相を呈している。
そのため、下手に他人の不正を批判したりすると「天ツバ」となって自分に返って来ることから「お互いの不正には
目をつぶる」という「暗黙の了解」が出来上がっているかのようだ。
表面的には「権利の上に眠る」集落に見えるが、実体はその逆で「権利濫用が横行する」集落なのかもしれない。
勿論、意見を持っていない訳ではなく個人的に一対一で話す場合は本音を話す人が少なくない。
しかし、全体の場でその意見が述べられることは「全くない」と言っていい。
それは常に体制派、多数派に身を置いて我が身の安全を守ろうとする「田舎特有の保守的風土」がそうさせている
ものと受け留めていた。
ところが、数年前に達古袋地区の集会に出る機会があったが、その時は収拾が困難なぐらい(玉石混淆の)色々な
意見が出たのに驚かされた。
意見を述べない風土は「霜後集落特有のもの」とその時に初めて知った。

(選別を終えた黒平豆。大豆は選別に時間がかかるのが課題。)
それは、狭い盆地の小さな集落であることが起因しているのかもしれない。
しかし、今は皆兼業農家となり外で職に就いていることから「世間の常識」を知らない訳ではないはず。
にもかかわらず、集落内では「非常識」が横行し「批判もされず責任も負わず」が罷り通る「不思議な世界」が
出来上がっている。
以前、集落内では補助金や障害者年金を不正に受給したりすることがあったという、
今でも書類のやり取りだけの「耕畜連携」が噂されているし、不正は「やったもん勝ち」の様相を呈している。
そのため、下手に他人の不正を批判したりすると「天ツバ」となって自分に返って来ることから「お互いの不正には
目をつぶる」という「暗黙の了解」が出来上がっているかのようだ。
表面的には「権利の上に眠る」集落に見えるが、実体はその逆で「権利濫用が横行する」集落なのかもしれない。