7月19日の毎日新聞「時代の風」欄で、ノンヒクション作家の梯久美子氏が「戦争のリアルを知る、
学びたかった少年兵」と題し書いていた。
「戦争」を知る貴重な資料として、その後半部分全文を紹介したい。
(願い叶わず、昨夜からの雨はお昼過ぎまで降り続いた)
特年兵(正式名称は海軍練習兵だが、海軍内でもこう呼ばれていた)の制度が始まったのは42年。
それまでは陸海軍とも少年兵の応募年齢を満15歳以上としていたが、特年兵は満14歳から志願
できた。
1期生は43年11月に教育期間を終え、第一線の部隊に配属されている。もっとも若い者は、現在で
いえば高校1年生の年齢である。
1期から4期までの総数は約1万7200人。そのうち5000人余りが戦死している。1期と2期に限れば、
戦死者の比率は70%に及ぶという。
これまで何人かの元特年兵に話を聞いてきた。特攻艇「震洋」の基地にいたある人は、終戦の日、上官
から「頓服だ。風邪をひきそうになったら飲め」と言って薬を渡されたそうだ。
「青酸カリでした。風邪をひくというのは、自白するという意味です。子供だから、米軍がやってきたら
何でもしゃべってしまうと思われたのでしょう」
すぐに別の上官が回収に来たが、そのときほど悔しく、またむなしい気持ちになったことはないという。
特年兵の教育を担当した元大佐にも会いに行った。その人は少年たちが自ら記入した書類を大切に
保管していた。見せてもらうと、志望動機の欄には、ほとんどの者が「お国の役に立ちたいから」と書い
ていたが、同じくらい多かったのが「普通学を学べるから」というものだった。普通学とは何なのか元大佐
に尋ねたら、旧制中学で学ぶ一般科目のことだという。
特年兵になれば、軍事だけではなく普通学も学ぶことができると軍は宣伝した。そのため、成績優秀だが
経済的な事情で上の学校に進むことのできない少年たちが多数応募してきたそうだ。1期生は採用人数
3700人に対し、3万数千人の応募があった。
黄ばんだわら半紙の書類をめくるたびにあらわれる「普通学」の文字。旧制中学の生徒と同じ勉強が
したくて、軍に志願した少年たちがいた。
これもまた、のちの世代が知っておくべき戦争のリアルである。