菅総理のポスターを見て、小沢一郎は冒頭に「一部の」と入れるべきと主張していたが、
私は、もっと厳しく「国民」を「自分」と置き換えて読むことにしている。
モリカケ問題をウヤムヤにし、記者会見では「鉄壁のガースー」に徹し、国会は開かず、
開いても都合の悪い質問には答えず、マスコミをコントロールし、新型コロナ対策よりも
GO TOを優先している。
どれをとっても民主主義を理解している政治家とは到底思えない。
それでも「国民のために働く」と言い続けるつもりなのだろうか。
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3.11から10年。
この節目の日に紹介したいと考えていたコラム記事がある。
福島原発事故は人災であり、その後の事故処理のお粗末振りも人災であると
つくづく思わせる内容の記事となっている。
毎日新聞「風知草」 2021.3.8
廃炉 この道でいいか=山田孝男
原発事故10年。遅くとも2051年に廃炉完了――が建前だが、溶け落ちた核燃料を取り出せず、工程表は5回書き直され、作業は遅れている――。
それが東京電力福島第1原発の現状――と気づくのも、10年の節目でメディアが取り上げるから。福島から遠ざかるほど、ふだんは誰も意識しない。
小出裕章・元京大原子炉実験所助教の「原発事故は終わっていない」(毎日新聞出版、2月新刊)は日本人の錯覚を問う。
小出は脱原発の<アイコン>である。安保法制反対の旗幟(きし)鮮明で容赦なく政府を批判する原子核工学の専門家であり、カネも出世も顧みぬ生き方を貫き、カリスマになった。15年、京大を定年退官して長野県松本市に移住。71歳。
原発が専門の小出が「廃炉計画は幻想」だと断言する。本当だろうか? 新刊は政府・東電の最新情報をよく織り込んでいる。政府の資料と突き合わせ、流れを整理してみる。
011年12月の最初の廃炉工程表以来、全体としては、「30~40年後」に全設備1~6号機の廃炉作業を終える――ことになっている。この目標は今も維持されているが、細部は断続的に改定された。
メルトダウンした1~3号機の使用済み核燃料搬出は遅れに遅れ、ようやく19年、敷地内の共用プールへ移す作業に着手。先週2月28日、3号機に残った566本の搬出を終えた。炉心が無事だった4号機からは移転済みだが、1、2号機は未着手。しかも共用プールから先の搬出・管理の道は五里霧中である。
難題は1~3号機内に溶け落ちた燃料デブリ。なにせ、原子炉とデブリの状態が見えない。ロボットや遠隔操作カメラで断片情報を集め、21年から2号機のデブリを取り出すべく、核融合実験施設で実績のある英国の業者にロボットアームの試験を頼んだ。
この1月、アームが届くはずだったが、新型コロナウイルスの感染拡大で英国での作業が中断し、予定は1年先送り――というのが最新情勢である。
デブリの総量は推定880トン。小出は100年でも回収不能と見る。1986年のチェルノブイリ原発事故の処理のように、炉心に近づかず、「石棺(せきかん)」(鉄とコンクリートの構造物)で覆うしかないと言う。現地ウクライナでは、2016年に石棺を覆う第2石棺を構築、なお100年、放射能の減衰を待つ。
1979年の米スリーマイル島事故の場合、圧力容器は底が抜けておらず、90年までにデブリを回収できた。それでも廃炉完了は2037年以降と聞く。デブリは回収後も10万年から100万年の保管を要する。
福島の専門家の間にも石棺を探る声はあった。却下されたのは技術上の問題より、政治的理由による。石棺を造れば、福島には核のゴミを置かない――という国・東電と県の約束に違反するわけである。
チェルノブイリは炉心溶融が1基。福島は3基。福島は直接被ばくの死者こそ出ていないが、処理の難しさは過酷事故の先例を上回る。そういう現実を見ない政・官・業のもたれ合いが原発再稼働待望論を生み出す。原子力ムラだけが悪いのではない。警世の小出本で気づかされた。
廃炉は順調だと多くの日本人が思っている。時間とカネと技術が解決する、とタカをくくっている。確かな根拠はない。(敬称略)(特別編集委員)=毎週月曜日に掲載