村上春樹の1Q84だが、SFなのに月が二つあるのはおかしいなんて書評家大森望氏はクレームをつけている。
二つ問題がある。これがSFなのか、ということ。もうひとつはSFには月が二つあってはいけないか、という問題。
最初の問題に対する答えは否である。二番目はSF業界仲間内の教条論争なので論評するに値しない。
ジャンルに関していえば、「総合小説」だ。SF味もにおう。しかし、基本的にはファンタジー味がベースだろう。オカルト色も強い。通俗的なセックス・マジック本をだいぶ勉強したあともみられる。通俗ユングものの影響も強い。これは「世界の終り、」以来のものだろう。
時代風潮、思想を織り込もうとした形跡もある。これは全く成功していない。
基本はおとぎ話すなわちファンタジー風味だろう。それにセックス・マジックを中心とするオカルト趣味だ。
荒唐無稽でもいい。それをもっともらしくまとめるのが作家の腕力の見せどころだろう。前提から言えば「世界の終り、」のほうがもっと記号的で荒唐無稽である。しかし、なんとか最後まで読ませる腕力は見せていた。
1Q84では村上春樹の腕力が著しく衰えたのを感じる。マラソンでからだを鍛えても、脳みその陳腐化は止められないものらしい。リアリズムとの妥協が著しく、その割には、その効果はまったく表れていない。
これがあっという間に200万部突破とは、これも仕掛けのあるマジックかな。
大森望氏は月が二つあることに「SFの権威」として文句をつけているが、それでも「面白かった」とおべっかを使っている。書評家の常である大勢順応主義なのだろう。
麻生首相じゃないが、みんなでパイを大きくして一緒に食べましょう、ということだろう。