穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

御説ごもっとも?

2011-01-06 21:11:22 | ミステリー書評

山口雅也の奇偶上巻490ページまできた。かなりの個所で怪しげな引用、登場人物(推理作家、教祖、教団関係者、精神科病院勤務医など)が聞き語りする珍説高説のかずかず、大分とばして読んだ。

浮き上がっているんだね。他のパートと有機的に、あるいは化け学的に絶妙に混交しているなら飛ばし読みは不可だが、全然そうではないようだ。

つまり屁理屈パートと小説パートが必然性をもって全体を構成していない。ま、作者は偶然という言葉がすきだから、二つのパートの相互関係などどうでもいいのだろう。なお、哲学史の流れで言うと偶然というよりかは偶有(アクシデンタル)と言うほうが普通だろうが。

それとすべてが登場人物の意見として開陳されていない。高名なる学者何某がこう申されたぞ、恐れ入らんか、てな調子だ。元はどうでも登場人物が自分のものとして述べる意見と言う箇所が一つもない。たとえば福助なんか、内容はともかく表現は彼らしく言わなきゃおかしいよ、小説でしょ。

大学の非常勤講師が偉い学者の説を切り売りしているみたいだ。教壇で一時間なんぼで生活している哲学教師ならいいが(内容は検証はしていないが)、小説じゃだめ。それぞれの登場人物の主張、意見として展開しなくちゃ。

で、あきれてしばらく巻をおき、「ゴールデンスランバー」の時と同じように電脳空間を徘徊した。なんか下巻でカルト教団で起きる密室殺人事件が出てくるそうだ。それでこれがミステリーなんだろうね。上下巻千数百円分の悪口を言う権利をまだ残している。我慢して下巻まですすもう。


されど読者たかが読者

2011-01-06 11:17:51 | ミステリー書評

逆だったかも。日本の尊敬すべき読者とかけて何と解く。

マスコミに紹介されればデパ地下の菓子屋に長蛇の列を作るともいとわず、と解く。

その心は、書評家が褒めればいかに難解(読みにくい、読みがたい)小説でも、最後まで読み切り自分の舌を納得させる異能を持つ。

マスコミが取り上げない店は見向きもしない。本の取捨を自分の判断ですることがない。

(まるでオイラみたい)


山口雅也「奇遇」300ページ手前

2011-01-06 10:41:29 | ミステリー書評

ハヤカワグループ書評家のゼロ年代ベストテンの第三位だ。上巻500ページ下巻350ページ。

おいらは上下とか二分冊以上のミステリーは読まないんだが、ベストテンでほかにめぼしいものもないらしいので千数百円の投資をした。長いものといえば、同じ理由でベストテン堂々の一位宮部氏の「模倣犯」全五冊も読まない。彼女の作品は何だったか二冊に分かれているのを読んだ記憶はあるのだが、それだけのページ数サスペンス、興趣を連続させる能力は感じられないので模倣犯もパス。例外的にこの本が良い出来なら勘弁ネ、だ。

さて「奇遇」。出だしはどうもだが、エピソードの二あたりからちょっと読ませる。しかしなかなか山が来ない。小山はおろか丘さえない。これで売れるのかなという印象。奥付を見ると2006年以来二刷のみ。ほかと一桁以上違う。一般受けはしないだろうな、と思う。しかし選者は偉いね。これを堂々の三位だ。

こういう書き方もあるんだろうが、どうもエピソードと言うの、劇中論文というか屁理屈というの、がバラバラだ。この頃若い人のはやりで辛抱して最後まで読めば恰好がつく、小ネタを回収するのかもしれないが、どうもそれほど辛抱強くない。エンターテインメントを読むのは我慢比べじゃない。

これがミステリーかね。最後まで読むとミステリーなのかな。とにかく300ページまでは解決すべき事件もないし、ミステリーと銘打たなければ、それなりに読めるところもあるのだが。

各所でペダンチックで「高踏的」なギロンが陳列されるが、少年時代に読んだ小栗忠太郎の「黒死館殺人事件」を思い出した。総じて単調な議論である。提示の仕方が女学生のノートからみたいだ。女子学生が教室で先生が言うことを一字一句最大漏らさずノートに筆記するだろう。そのノートからまるまる引用しているみたいだ。

つづく