山口雅也の奇偶上巻490ページまできた。かなりの個所で怪しげな引用、登場人物(推理作家、教祖、教団関係者、精神科病院勤務医など)が聞き語りする珍説高説のかずかず、大分とばして読んだ。
浮き上がっているんだね。他のパートと有機的に、あるいは化け学的に絶妙に混交しているなら飛ばし読みは不可だが、全然そうではないようだ。
つまり屁理屈パートと小説パートが必然性をもって全体を構成していない。ま、作者は偶然という言葉がすきだから、二つのパートの相互関係などどうでもいいのだろう。なお、哲学史の流れで言うと偶然というよりかは偶有(アクシデンタル)と言うほうが普通だろうが。
それとすべてが登場人物の意見として開陳されていない。高名なる学者何某がこう申されたぞ、恐れ入らんか、てな調子だ。元はどうでも登場人物が自分のものとして述べる意見と言う箇所が一つもない。たとえば福助なんか、内容はともかく表現は彼らしく言わなきゃおかしいよ、小説でしょ。
大学の非常勤講師が偉い学者の説を切り売りしているみたいだ。教壇で一時間なんぼで生活している哲学教師ならいいが(内容は検証はしていないが)、小説じゃだめ。それぞれの登場人物の主張、意見として展開しなくちゃ。
で、あきれてしばらく巻をおき、「ゴールデンスランバー」の時と同じように電脳空間を徘徊した。なんか下巻でカルト教団で起きる密室殺人事件が出てくるそうだ。それでこれがミステリーなんだろうね。上下巻千数百円分の悪口を言う権利をまだ残している。我慢して下巻まですすもう。