さて、西村賢太「苦役列車」にとりかかる。70ページあたりまで読んでほうっておいたが。
久しぶりに私小説という言葉を聞いたね。昔は右を向いても左を向いても私小説みたいな時代もあった。
ところで私小説とはなんだ、とWIKIPEDIAを見て驚いた。そこで私小説の例として作品のリストがあるのだが、ものすごい拡大解釈という感じがする。なんだか、小説は全部私小説になってしまうようだ。このリストはおかしいね。
もっとも、私小説には破滅型と教養型があるそうだ。だけどリストを眺めるとどちらにも入らないのが多い。おいらなんかは私小説と言うと、ここでいう破滅型を連想していたのだろうな。そうして西村氏もこの範疇にはいるようだ。
小説の材料に自分の体験を何らかの形で反映していないものは少ない。それを全部私小説といえば私小説は日本の専売特許ではなくなる。
私小説と言えば露悪型、破滅型というイメージだ。しかし、私小説ほど筆力がいるものはないだろう。露悪といっても個人の体験など正直に書いても、第三者には退屈なだけだ。殺人犯とか脱獄囚の手記でもそのままではなかなか商品にはなるまい。かならず、介助者の潤色が必要だ。
超セレブの大政治家の回想録も必ずしも面白くない、という例もある。それを名もなき若年の市井の個人の生活を小説として商品化する、狭いマーケットであっても、大変な実力が必要であろう。
自分の生活を、それも19歳ころの生活を書いて、そのまま商品化出来るわけがない。西村氏にはそれなりの実力があるのだろう。
次回はチャンドラーにその萌芽がみられるハードボイルド小説の私小説化について番外サービス。
& 読み終わった。この人はポルノも書いているんじゃないのかな。すくなくとも書けそうだ。エンターテインメント分野でもなにか書いているんじゃないかな。知らないけど。
&& アメリカでも通俗雑誌でポピュラーな分野は告白小説だというが、これは形式としては私小説だよね。本人の実体験を直に出しているか、告白風は体裁だけなのか、という違いはあるが。