穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

芥川賞選考の批評SIX

2011-01-28 20:59:14 | 西村賢太

さて、西村賢太「苦役列車」にとりかかる。70ページあたりまで読んでほうっておいたが。

久しぶりに私小説という言葉を聞いたね。昔は右を向いても左を向いても私小説みたいな時代もあった。

ところで私小説とはなんだ、とWIKIPEDIAを見て驚いた。そこで私小説の例として作品のリストがあるのだが、ものすごい拡大解釈という感じがする。なんだか、小説は全部私小説になってしまうようだ。このリストはおかしいね。

もっとも、私小説には破滅型と教養型があるそうだ。だけどリストを眺めるとどちらにも入らないのが多い。おいらなんかは私小説と言うと、ここでいう破滅型を連想していたのだろうな。そうして西村氏もこの範疇にはいるようだ。

小説の材料に自分の体験を何らかの形で反映していないものは少ない。それを全部私小説といえば私小説は日本の専売特許ではなくなる。

私小説と言えば露悪型、破滅型というイメージだ。しかし、私小説ほど筆力がいるものはないだろう。露悪といっても個人の体験など正直に書いても、第三者には退屈なだけだ。殺人犯とか脱獄囚の手記でもそのままではなかなか商品にはなるまい。かならず、介助者の潤色が必要だ。

超セレブの大政治家の回想録も必ずしも面白くない、という例もある。それを名もなき若年の市井の個人の生活を小説として商品化する、狭いマーケットであっても、大変な実力が必要であろう。

自分の生活を、それも19歳ころの生活を書いて、そのまま商品化出来るわけがない。西村氏にはそれなりの実力があるのだろう。

次回はチャンドラーにその萌芽がみられるハードボイルド小説の私小説化について番外サービス。

& 読み終わった。この人はポルノも書いているんじゃないのかな。すくなくとも書けそうだ。エンターテインメント分野でもなにか書いているんじゃないかな。知らないけど。

&& アメリカでも通俗雑誌でポピュラーな分野は告白小説だというが、これは形式としては私小説だよね。本人の実体験を直に出しているか、告白風は体裁だけなのか、という違いはあるが。


芥川賞選考の批評FIVE

2011-01-28 20:37:49 | 西村賢太

朝吹真理子のきことわ。悪口クーポンも残り少なくなったのでそろそろやめておくが本作りについて一言。

単行本になったのは今回初めてのようだが、随分誤植があるようだ。あるいは原稿段階からのものか。校正者の責任だろう。彼女は気取ってしなを作るから、意図的に目ざわり(目にとまる)ような書き方をしているのかな、と思ってもみたが、どう見ても誤植(あるいは間違い)という箇所が複数ある。

最初は新潮に出たらしい。新潮って雑誌でしょ。デジタル化して原稿はとっていないのかね。それとも雑誌の初出から間違っていたのかな。

もうすこし丁寧に本は作ってほしいな。


芥川賞選考の批評FOUR

2011-01-28 08:32:40 | 西村賢太

朝吹真理子「きことわ」96ページ。ぼちぼちやっておる。

90ページ前後から読み始めたほうがいいかもしれない。95ページあたりにはブラム・ストーカーみたいなところもある。

一文之を覆う、曰く、我はかって有り、今有るもの。我は汝であり、汝は我である。我は今此処に有り、今彼処にあるという意識あるいは無意識。ナレイターは耳年増、かまとと。(これが出来るのは神かアメーバか鳥インフルエンザ・ウイールス)。

処理の仕方を評価すれば、厳正に見れば中の下、甘く見て中の上。ただ現在価値を見るのではなく、将来価値を見るのであれば(芥川賞はそういう性質らしい)、選考委員は将来の才能の種を見ているのかもしれない。

あたしは伯楽じゃないから、その点はコメントを差し控える。

1200円の悪口クーポンはまだ残っているかな。、、、

まだあるようだ。 つづく