自作評、「指バラ色に」への申し訳をかねて
ロシアの批評家ミハイル・バフチンの「ドストエフスキーの創作の問題」(平凡社)をすこし読んだが、ポリフォニーとかモノローグとバフチンがいうのが分からない。定義はなんとなく分かるのだが、ドストエフスキーの独創だという主張が理解出来ない。前回このことを書いた。
それで放り出してあるのだが、書店で同じ作者の「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)というのを立ち読みした。こちらの方が分かりやすそうなので購って読んでいる。
まだ、一部だけしか読んでいないが、ジャンルというか技法というかを取り上げたところでメニッペアの記述がある。メニッペアという言葉がどの程度業界(書評界、文芸評論家)の間で流通しているのか分からないが、ギリシャローマの時代からある「まじめな笑話」という分野らしい。
かなり詳しく紹介しているのだが、これはまさに「指バラ色に」の世界だ。勿論初めて読んだので結果的に同じ(極めて類似)ということだ。とすると、これは真似と思われてはしゃくだから一言書いておこうかという、はなはださもしい気をおこしたのである。
かって、成島柳北の柳橋新誌を愛読していたことがあったので、書いていてそれには似るかな、という意識はあったが、バフチン先生の詳述の方が懇切丁寧で自作解説にはいい。
柳橋新誌はいわゆる散文体の狂詩とでもいうべきものであって、幕末に徳川幕府高官(騎兵頭、外国奉行、会計副総裁を歴任)だった成島柳北が維新で職を失ない漢文書き下し調で著した戯文である(今風に言えば風俗業界のルポルタージュとでも言うかな)。
成島家は代々将軍家の儒者であり、柳北も名文家である。その彼が書いた戯文であり、まさに高尚さと俗悪さという正反対の混交であり、バフチンのいうメニッペアの技法である。
ちなみに俳優の森繁久彌は成島の子孫にあたるようだ。森繁も文章がうまかったな。
俳句に川柳あり、和歌に狂歌あり、漢詩あるいは賦に狂詩ありである。
以上はジャンルの話であって、テーマの話ではない。
ロシアの批評家ミハイル・バフチンの「ドストエフスキーの創作の問題」(平凡社)をすこし読んだが、ポリフォニーとかモノローグとバフチンがいうのが分からない。定義はなんとなく分かるのだが、ドストエフスキーの独創だという主張が理解出来ない。前回このことを書いた。
それで放り出してあるのだが、書店で同じ作者の「ドストエフスキーの詩学」(ちくま学芸文庫)というのを立ち読みした。こちらの方が分かりやすそうなので購って読んでいる。
まだ、一部だけしか読んでいないが、ジャンルというか技法というかを取り上げたところでメニッペアの記述がある。メニッペアという言葉がどの程度業界(書評界、文芸評論家)の間で流通しているのか分からないが、ギリシャローマの時代からある「まじめな笑話」という分野らしい。
かなり詳しく紹介しているのだが、これはまさに「指バラ色に」の世界だ。勿論初めて読んだので結果的に同じ(極めて類似)ということだ。とすると、これは真似と思われてはしゃくだから一言書いておこうかという、はなはださもしい気をおこしたのである。
かって、成島柳北の柳橋新誌を愛読していたことがあったので、書いていてそれには似るかな、という意識はあったが、バフチン先生の詳述の方が懇切丁寧で自作解説にはいい。
柳橋新誌はいわゆる散文体の狂詩とでもいうべきものであって、幕末に徳川幕府高官(騎兵頭、外国奉行、会計副総裁を歴任)だった成島柳北が維新で職を失ない漢文書き下し調で著した戯文である(今風に言えば風俗業界のルポルタージュとでも言うかな)。
成島家は代々将軍家の儒者であり、柳北も名文家である。その彼が書いた戯文であり、まさに高尚さと俗悪さという正反対の混交であり、バフチンのいうメニッペアの技法である。
ちなみに俳優の森繁久彌は成島の子孫にあたるようだ。森繁も文章がうまかったな。
俳句に川柳あり、和歌に狂歌あり、漢詩あるいは賦に狂詩ありである。
以上はジャンルの話であって、テーマの話ではない。