ねじまき鳥どうやら最後までいった。この小説の主人公は誰でしょう。これはレビュー(軽演劇)だから主役は沢山いるが、首座たる主役は誰でしょう。
僕でしょうか。どうも違うな。派手なオベベを着て出てくるマドンナは多い。加納姉妹、ナツメグ、テレフォンセックスの女、笠原メイなど。主役はクミコでしょう。間宮中尉や牛河は一つの物語をなしているが、中世の物語の様にてんでんばらばらの挿話を一冊にまとめたという色合いが強い。
村上春樹の通奏低音は妊娠恐怖症であると断定してよい。(彼の全作品を読んだわけではありませんが)。あれだけ女性にサービスする主夫を主人公(記述者)とするにもかかわらず育児の記述がまったくない。
村上春樹自身も子供がいないらしい。クミコの謎は解けない(解かない)ままで終わるのだが、妊娠恐怖症でしょう。この恐怖はクミコのものなのか、村上春樹自身のものか、あるいは誰か具体的なモデルがあるのか、あるいは全くの観念遊戯上の概念なのか。断定することは難しい。
ねじまき鳥に限って言えば、加納クレタと僕の子供と暗示されるコルシカという嬰児がいる。クレタは妊娠するとクレタ島に行くといって姿を消す。姉のマルタの言う所によると、彼女はコルシカという子供を生んで一人で育てている。
小説にはそういう伝聞しか出てこない。ねじまき鳥は広い意味で彼の冒険小説の系列に入る。すなわちハードボイルと世界の終わりだっけ、羊をめぐる冒険、ダンスダンスダンスの系列だ。物語の形式は行き当たりばったりの巡礼形式(犬も歩けば棒にあたる)である。
そしてねじまき鳥は記述の暴力性がその中では一番強い。
巡礼形式で思い出した。最近書店で文庫になった「たざきつくる君」がてんこ盛りだ。この小説も昔の謎を巡礼形式でたづねて回るものだったかな。前に読んで極めて印象が薄かった。本も捨ててしまった。今回書いたついでに文庫でも買ってもう一度読んでみるか。