母が死んだ時に通夜の席で一郎が「お母さんは芯の強い人だったね」と三四郎に言ったのである。母は極端に神経質で父親には全く自分から意見を言うようなこともなかったから非常に意外な思いがした。父親に対して自分の意見をあくまでも主張する等ということは見たこともなかった。とうてい相鎚を打てるような話題でもなく、彼は黙っていた。そのうちに他の話題に移って行ったのであるが、兄の言葉が異様に響いたのでそのことだけは記憶に残っていた。
母は自分自身が父に対して従順であっただけでなく、彼にも父に逆らわない様にしつけをした。それのみならず兄達に対しても機嫌を損ねることがないようにと、それを基準にして彼を神経質にしつけた。母は彼をno(何々をしてはいけません)という無数の環を結びつけた鎖で十重二十重に縛り付けたのである。しかし妹達についてはまったく躾を放棄していた。これが三四郎には理解できない不条理と映った。
母が死ぬ数年前であったが、彼に「私が死んだらあなたはどうなるだろうね」と不安そうに呟いたことがある。いまにして思うと、母が彼に向っても言うようでも無く、独り言とも聞こえるつぶやきが重大な意味合いを伴って思い出されることが他にもいくつかある。続けて母は兄達から三四郎がどんな不都合な扱いを受けるか心配している様に「お兄さん達の言うことを良く聞いてね」と言った。そのとき彼も成人していたのであるが、大人になった彼に対しても、自分がいなくなったら兄達が彼に危害を加えるのではないか、とまるで心配しているようであった。
聖アウグスティヌスがなげくように、我々は自分の幼時のことや少年期の初期のことを記憶していない。記憶していると思っている場合は、少年期に母親や身近に生活をしていた祖母や忠実な乳母などから自分の幼時のことを繰り返し聞かされて、それが直接の記憶の様に思い出されるだけである。三島由紀夫の「仮面の告白」における祖母や中勘助の「銀の匙」のなかでの乳母のような場合である。彼の場合にはそのような存在は皆無だったのである。
そして幼時や少年期の初期の体験がいまの自分のほとんどを作り上げていることに鑑みると聖アウグスティヌスの悔しさや歯ぎしりそして嘆きがわかるのである。アウグスティヌスは「だから私は青年期のはじめからこの告白をはじめる」と書いている。
彼に対してとは逆に妹達へのしつけを放棄したのはしたたかな「芯の強い」母親の復讐であった。ぎらつく「父という太陽の光源」が消灯したあとに浮かび上がって来た「真実」である。