穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

前回アップで思い出したこと

2016-08-31 08:02:55 | ドストエフスキー書評

別のとらえ方をすると「罪と罰」は更正物語である。ソーニャが重要となる。更正物語で思い出したが、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」である。脱獄囚が前身をかくして地方都市の市長となり、発覚して追われ途中で不幸な少女の保護者となりながら逃亡生活を続ける。

そもそもの彼の罪は空腹に堪え兼ねてパンを一切れ盗んだことである。それが脱獄を繰り返して徒刑場送りの重罪人となった。ラスコリニコフとは全然違う。逃亡追跡ものとして屈指の出来映えである。 

もう一つ更正物語ということで思い出した。大分前にこのブログでも取り上げた水上勉の「飢餓海峡」である。終戦直後の混乱期に殺人を犯して逃亡し終えて、たしか会社社長かなにかとして地方の名士に成りおおせている主人公だったと記憶する。大分前の話でほとんど記憶がない。ドストほど印象的でなかったということだが、書評ではドストを下敷きにした小説らしいと言うことで取り上げた。「レ・ミゼラブル」と同様、昔のことが発覚して追われ、終わりがどうなったかは記憶にない。 

たしかこの本の文庫の巻末解説だったと思うが、ソーニャを念頭においた娼婦が登場してくる。罪と罰では最初の老婆殺しの場面の迫力がなければ小説は平板になっていただろう。飢餓海峡ではこの発端の殺人事件の記述はあった記憶はあるのだが、内容は全く覚えていない。筆力が及ばなかったのであろう。