世の女どもに告ぐ、くそをしたら古新聞で尻を拭け、と誰かが言わなかったっけ、と同棲相手兼雇用主の洋美がばたばたと化粧をして家を飛び出した後でテレビをつけた彼は思い出した。トイレットペイパーを女どもが買い占めているらしい。普段ならすぐ忘れてしまうような昨日の体験を思い出した。帰りにコンビニに寄ったときである。行列に並んで順番を待っていると前の客に長々と時間がかかっていた。見るとトイレットペイパーの大きなロールをまとめて買っている。テレビを見て、ははあ昨日の客も噂というかデマに踊らされた買占め客だったなと気が付いた。
その客にやや観察の視線を注いだのであるが、年恰好は六〇くらいだろうか、木賃宿の女中という印象であった。家族や宿泊客に多数の盛大に下痢をする人間でもいるので、腕に抱えきれないような量を買っていると彼は思った。なんだか彼女までが不潔のようで列に並ぶのをやめようかな、と思ったときに彼が呼ばれたのでしょうこと無しにカウンターに機械的に進んでタブロイド夕刊紙を買ったのである。
テレビでは前世紀のオイルショックの時にもトイレットペイパーの買占めパニックがあったそうである。そのころの映像が流されていたが、買占め客はみんな女性である。家族の間でトイレットペイパーは女性が買うものという役割でもあるのかな、と彼は不思議に思った。それとも女というものは排泄の時以外にも陰部を拭く必要があるのであろうか、知識の乏しい第九には判断が出来かねた。
テレビのワイドショーが終わると食卓の後かたずけ、洗濯、掃除と朝の行事を済ませると昼飯を食いに外出した。駅の近くのスーパーの前を通ると長い行列が入り口の外に出来ている。デパートなんかでは特定の菓子などの人気商品の店の前に長々と行列が出来るときがあるがスーパーでは珍しい。彼はドリンクでも買っておこうと店に近づいた。味付け水のプラスチックボトルはコンビニで買うと一五〇円以上するのにこのスーパーで九五円で買えるるのである。それで店に入ろうとすると偉そうな男が大手を広げて彼を阻止した。背広を着た男でレジや店内で作業をする店員には見えない。おそらく店の幹部社員なのだろう。
「行列に並んでください」という。午前中にこんな行列が出来たことは無い。いや、一番込む時間帯の夕方でも行列して入店を待つなんてことはない。「何でなんだ」と彼が詰問すると、トイレットペイパーは一人一個までで順番に入店させるという。別にトイレットペイパーを買うわけじゃないといったが、店長らしき男は入れてくれない。そうすると今頃来る客はみんなトイレットペイパー狙いだと思っているらしい。ヤレヤレと彼は店を離れたのである。
定食屋で鶏肉と野菜のあんかけを食うと日課にしている本屋を回りダウンタウンに入った。
砂糖二〇グラム入りのインスタントコーヒーを注文すると、すでにたむろしていた常連の席に行った。彼らの話題は今日も新型コロナであった。第九は今朝ワイドショーを見ていて浮かんだ疑問を発した。
「尻を新聞紙で拭け、と言ったことを聞いたような気がするんですがね」と云うとJSは
昔はトイレットペイパーなんでものはなかったからね」と言った。
第九は驚いてそれで新聞紙で尻を拭いていたんですが、と反問した。
「昔でもしりふき紙はあったさ、チリ紙みたいなものだろうな。俺が記憶しているのは古新聞だったな。もうチリ紙なんてものは貴重品になっていたからな」
「何時頃の話ですか」
「すぐる大戦のころさ。物資が欠乏してな」
「それじゃ便所が詰まってしまうでしょう」
「詰まりはしない。水洗じゃないからな。紙はポトンと下の糞溜めに落ちる。それをあとで天秤棒で担ぎ出して田んぼに肥料として撒くのさ」
するっていうと、と第九は言った。昔のように古新聞を使えというわけか。
「たしかオイルショックのときに誰かが言っていたな」
CCが疑問を呈した。しかし、オイルショックというともう水洗便所がかなり普及していたんじゃないかな」
「東京ではね。しかし地方ではまだだろう。だからさ、水洗になったところでは拭いた後の新聞紙は流しちゃダメなんだ。ごみ袋に入れて燃えるゴミでだすのさ」
「本当ですか」
「さあな。しかし古新聞を使え、という主張はあったよ。憶えているからな」