穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

77:IT化異聞

2020-03-25 10:15:09 | 破片

 ところで、と老人はチョンマゲに問いかけた。「あなたは銀行の窓口で意地悪された経験はありませんか」
「いや、とくには」
「あなたはまだお若いからな」
「さあ、彼女たちがどう思っているか知りませんが、私は大体窓口に行くことがないんですよ。キャッシュカードでたいていの用が足せるのでね」
「なーる、あなたはキャッシュカード時代の人なんだ」
老人はつるりと顔を撫でると、「銀行は合理化というのか何というのか、IT化をすすめているでしょう。それも顧客の便宜のためではなくてIT化で合理化した経費でびっくりするような銀行員の高給を維持するためらしい」
「言えてますね」
「我々のように通帳と印鑑世代に全部しわ寄せがくる。銀行の窓口はたくさんあるのに個人用の窓口は一つしかないところが多い。だからものすごく待たされるんですよ。その上金を下ろしたり振り込むときには嫌がらせを受ける。入金するときには何も言わないんですから露骨ですよ」
「通帳は万能なバウチャーのはずですからね。もっとも大事にすべきは通帳を使う顧客ですよ」とチョンマゲが応じた。
「実はね。私もキャッシュカードは持っているんですよ。使ったことはないですがね。それで昨今の通帳顧客の冷遇を見て、キャッシュカードを使おうとしたんですよ」
チョンマゲは黙って謹聴している。
「そこで問題発生でさあ」
「期限切れでしたか。もっともクレジットカードじゃないから有効期限なんていうのはないな」

「いやそうじゃない。ATMを操作すると取り扱い限度を超えていると応答するんでさあ」
「おいくら出すんですか」
「五万円ですよ」
「その額でそんなメッセージが出るなんておかしいですね」
「わたしゃ、不安になりましたよ。誰かが私の口座から無断で引き出す被害にあったのかと思いました」
「最近そういう犯罪が多いですからね」
そこでね、と老人は続けた。「残高確認というメニューがあるでしょう。それを押したら、何とあなた、そのメニューはだめだというんですな」
「だめだと出たんですか」
「さあ、はっきりと覚えていないが、要するに使えないというか参照できないという趣旨のメッセージでしたな」
チョンマゲは首をかしげた。
「それでね、もう一度ためしに金額を三万円に下げて操作したら今度も限度額を超えているというんですな」
「かなり深刻ですね、というよりか考えられない。異常です」
「そうでしょう、それでもう一度スタートメニューに戻って画面をにらみつけると、引き落とし限度額の変更というボタンがある」
「ありますね」
「それで、そのボタンを押し下げた。そうしたら1万円以下でしたら限度額を引き下げることが出来ると答えた」
「そりゃあひどいな」とチョンマゲは驚いた。
「これは私の預金は犯罪者に根こそぎ引き出されたに違いないと思いましたね」