穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

徒然(トゼン)に耐え兼ねエッチラホイとアップしました

2022-03-28 09:41:11 | 書評

 徒然に耐え兼ね、とはいささか漢語的ですね。無聊に苦しみ、と言うのが普通かもしれない。もっと和風にすれば清少納言のように、つれづれなるままに、ということでしょうか。
 さて、大分ご無沙汰をしております。実は小川先生ご推薦の島田荘司「占星術殺人事件」を取り上げようと読み始めたのですが、「こりゃ駄目だ」と途中で放り出しました。しかし大分ご無沙汰をしておりますので、再度最初から読み始めたのです。現在63ページ。
 冒頭に「なんだいこれは」というシャーロック・ホームズ役の御手洗占星術師のご発声がありますが、筆者はこれを作者に献上したい。
 登場人物が多数を誇っておりますが、イチドキに作者は紹介しているので、各キャラの印象が非常に希薄になります。こういう場合は事件の進展(こと場合はワトソン役の石岡の説明)につれて一人ずつ肉付けをしていく工夫が常道というか、求められるのではないか。
 全般にいままで読んだところ会話の表現がうまくない。比喩におかしいのがある。事件をめぐるマスコミのブームをアメリカのゴールドラッシュに例えているが???です。また少年少女向けの漫画劇画のように最大級の表現が多いのも安っぽく感じられる。
 さて、伏線のはりかたですが、まだ63ページですが、最初に画家の手記があり、連続、あるいは同時殺人は、つまり大量殺人はこの手記通りに行われたとある。しかし作者の画家は大量殺人が行われる前に殺されている。これを作者は謎の最大の売りとしているようです。そして、画家の手記を第三者、犯人が盗み見をして、それに沿って実行したのではないかといっている。
 それだけではないでしょう。手記は犯人の書いたもので、それを画家の机の引き出しに入れたという可能性もあるが、作者は全く触れていない。意図的かうっかりか、しりませんが。
 最後の謎解きがどういうものであるか読んでいません。あるいはこの可能性ではないのかもしれない。しかし、推理の過程では第三者の作ということも考えるべきでしょう。大体、筆跡鑑定がなされるべきものでしょうが、まったく63ページまでには触れていません。当時パソコンもないし、書くとしたら自筆しかないわけで、(もっとも代書という手もあるか)警察が筆跡鑑定をしなかったということはありえないことです。意図的にこの点を触れていなくて土壇場で第三者作説を持ってくるなら(分かりませんが)とんでもない詐欺的行為になります。
以下次号