穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

どうしてつまらない作品の書評をするのか

2022-03-31 09:06:42 | 書評

 島田荘司「占星術殺人事件」、29日以来結構進みましたぜ。現在223ページです。どうしてつまらないと思う小説の書評を何回もするのか、と疑問を持たれるでしょうが、いい小説、面白い小説というのは滅多にありません。ほどんどはつまらない小説です。だから書評を日課?にするとどうしてもつまらない小説を取り上げざるを得ない。
 さて現在223ページ、もと刑事の手記というものの途中まで読みました。手記を全部読んでから書こうと思いましたが、なかなか終わらない。そこでここいらでちょっと書いてみます。この書評は作品んを読んでいない人のため、また読んだ人のためにも書いています。大体は読んだ人を想定しているのですが。ですから本来は内容とかスジを紹介してから書くのでしょうが、読んでいない人には端折りすぎているところもあるかもしれません、なにとぞ、ご海容のほどを。
 この手記は死亡した刑事が戦前の事件当時、巻き込まれて、図られて、死体運搬をさせられたという告白なのです。作者はこれで不可解な多数死体の運搬を合理的に説明しようとしているのでしょう。この種の小説では些事の考証と言うのは大事です。それがおかしいと台無しになります。そんな点を1,2箇所。
 1:手記の作者はキャデラックを借りて死体を全国各地にばらまくというわけですが、当時一介の刑事が自動車免許をもっていたでしょうか。ないでしょう。
 2:この平刑事の家には電話がある。勿論固定電話です。昭和10年代は勿論のこと、戦後でも相当長い間、東京のような都会の真ん中の高級住宅街でも電話のある家はまちに一家あればいいほうです。まして都下、上野毛、当時は東京市でしたが、の平刑事の家に電話があるなんておかしい。
 刑事と言う職掌柄、急な連絡が必要な場合があったでしょうが、当時は電報を使ったでしょう。当時は緊急連絡といえば電報しかない。あるいははがきの速達なら半日ぐらいで着いたらしい。警察の小使いがひとっ走りしたかもしれない。平刑事の家に電話があったということはありえない。
 書評家小林栄太郎氏は「コンビニ人間」を嘘っぱちと看破されましたが、こちらのほうは嘘っぱち度では上位でしょう。コンビニ人間の作者は事実を書いているつもりは毛頭ないのに対して、「本格推理小説」は事実めかして、あるいは事実として主張するのですから。