兄たちが自分たちの生母のことを一言も話さないのは不自然かつ不思議である。まして上の兄は生母の葬儀のときに喪主にまでなっていた。父が欧州へ長期出張をしていて帰国が間に合わなかった。それだけに幼児には印象深いはずだが、一言も自分の生母のことを語らない。
おかしいのは三番目の母については、妹たちに反感を持たせるようなことを吹き込んでいたのに、母というと生母ではなくて、生母の後妻に収まった下町の女のことであった。しかもこの女は子供を遺していない。商家の娘だから死んだ姉の死後も父の家に入り浸って兄たちに小遣いを与えていたらしい。らしいというのは兄たちが自分から認めているのである。
その後の言動からみると、姉のあとで父の後妻に収まりたかった思惑があったらしい。父が亡くなった時も半狂乱になって電話をかけてきたことがあった。そのころは兄たちとその女のいきさつを知らなかったので、その女の非常識ぶり、半狂乱ぶりに度肝を抜かれた。初めて彼女のことが意識に上った。びっくりしたことがある。それだから兄たちに私たちの母の悪口を兄に吹き込んだらしい。
彼女は兄たちに新しい母への悪感情を子供たちに吹き込んだ。下町の商売人の家風と昔なら士族と言われた母の家風とは全く調和しなかった。下地に何回も三婚した父への反感がそういう感情を増幅させたらしい。父は外ずらはともかく、社会での成功者らしく、非常に評判がよかったが、家では非合理の権化のような独裁者であった。私などは父の外ずらと家庭での顔との大きな乖離にあきれ返っていた。
こんなことを書いてもいいのかな、と彼は自分の書いたものを読み返して躊躇した。自分の半生を纏めようとしたら、いままで意識に上ってこなかった、というより強いて考えようとしなかった色々なことに気が付いたのである。
シグマの少ない要約をするには以上書いてきたことを纏める必要を強く感じたのである。