穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

脱出した魂の速度

2024-01-08 08:00:49 | 小説みたいなもの

図書館を出るとあたりはとっぷりと暮れていた。富士川はJRに乗ると帰宅を急くサラリーマンですでに溢れかえった池袋駅で降りた。通行人と二、三歩歩くごとに肩をぶつけながら湯気の立つように殺人的に混雑した地下道を足早に、ほとんど駆けるように歩いた。忘れないうちにさっき望月氏に教わった金枝編を買い求めるためにジュンク堂に入った。

その本は岩波の文庫売り場ですぐに見つかった。贖うとショルダーバックに突っ込んだ。家に近くのスーパーにより、頭の中で冷蔵庫の在庫を思い浮かべて夕食のおかずを買い足した。アパートに入ると早速岩波文庫を開いた。該当箇所はすぐに見つかった。望月氏が説明したとおりの記述はすぐにみつかった。

かれは文庫本を机の上に置くと、さとうのご飯を二分間チンした。後はおかずで卵二つを割って鍋に落とし炒り卵を作った。それと鮭カンを開けて夕食をすませた。食後再び今日買った岩波文庫に戻ると「そうか、おやじの行為は殺人行為だったんだな」と呟いた。俺の自我はどこへいったのだろうか。

関東では東京の鬼門にあたる筑波山に身寄りのない魂が吹き寄せられるなんていう人がいる。そこで天狗と一緒に過ごすらしい。筑波山なんて今の東京からは見えない。昔は江戸、東京のどこからでもよく見えたという。

もっとも霊魂のスピードは光速と同じだと昔愛読した「トンでも本」に出ていた。それが本当なら今頃は宇宙の果てまで飛翔していることだろう。

ま、そんなことはどうでもいい。もうすこし、当時の家庭環境をつぶさに検討したほうがいいな、と富士川は大事業に取り掛かるように身構えた。明日からだなと思った。