池内訳「城」334ページまでたどり着いた。最後まで読んでいないが、後半のほとんどは「この地方」の「処女権」の話だね。実存主義なんか関係ない。処女権というのはもともと封建城主が持っていた支配地域の処女のつまみ食い権利を言う。
カフカの城では城主のかわりに官僚集団の権利である。その当時か直前までそういう風習があったのだろう。そうでないと話がつながらない。そしてその官僚の権利を拒絶した人間、女は村八分にされる。つまり官僚には強制力はないが、村人たちが役人の処女の召し上げ権に反抗した住民を村八分にする。そんな話を「測量士」が延々と聞かされる。ほとんど小説後半すべてを使っている。
測量士が大した反論もしないで傾聴しているのを笑わせる。
小説の主題としてもおかしいし、実存主義の古典に持ち上げる文芸評論家の説はなお、おかしい。そしてもっとおかしいのはこの女性の親父が官僚のもとへとりなしをもとめて必死になる長い長いクダリである。村八分の解消を求めるなら、村民に働きかけるべきだろう。あらゆる観点からいって、この小説は破綻している。
池内さんの意見を聞きたいね。おーすとりあ・はんがりー帝国の醜状のリアリズムなのかな。