解説を読まずに直接作品に当たれと云う人がいる。どうだろう。未成年の場合は(岩波少年文庫読者層みたいな)は変な解説でバイアスがかからない方がいいかもしれない。
解説あるいは批評にもろに暗示を受けたりする人は直接作品に当たった方が良いかも知れない。
批評にもひどいものが多いのも事実であるが、参考になるときもある。音楽に例えると生の演奏会でも演奏者の解釈が原作(楽譜)に加わっている訳である。ほかに、レコード、CD,BRDもある。またFM放送等もある。いずれにしても原石からの光は屈折して最終鑑賞者には届く訳である。
小説の場合の翻訳、解説、批評などもある意味では原作の屈折である。ときには拡大鏡の役目をはたす。なにしろ商売にしている専門家の解説である。針の穴をつつくような細かいものがおおいが、一般読者が読飛ばしてしまう所をくどくど解説している場合など、そうかそうして見るとなどと、一時停止すると感興がわくときもあろうというものである。
解説、批評を読む楽しみは論駁する楽しみである場合もある。そうかなあ、そうじゃないだろうというわけである。次回は村上春樹・柴田元幸氏の「サリンジャー戦記」をあげつらってみよう。