穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ポール・オースター「孤独の発明」新潮文庫

2018-03-01 21:33:10 | 書評

 このタイトルは誤訳じゃないのかな。訳者は柴田元幸氏、現題はThe Invention of Solitudeという。Solitudeはまあ孤独でいいかもしれない。inventionを発明と訳しても意味をなさないのではないか。句として意味をなさないというのではない。内容とマッチしていないではないか、ということである。

  カシオの電子辞書には発明としか出ていないが、シャープの電子辞書には四番目の語釈として「作りごと、作り話、でっちあげ」とある。また六番目の語釈には「修辞(学)で話の内容を決めること」とある。この二つのどちらかに該当するのではないか。内容をぱらぱら流し読みしてそう感じた。

念のためにOxford Advanced Learner‘s Dictionaryを見ると「act of inventing a story」というのがある。

  新潮文庫の132ページにローマの哲学者、修辞学者のキケロへの言及がある。キケロにはde inventioneという作品がある。普通発想法について、と訳されるようである。

 オースターは第二部記憶の書でルネッサンス期の記憶術の研究者ライモンド・ルルス、ロバート・フラッド、ジョルダーノ・ブルーノに言及している(122ぺーじ)

 キケロにも記録術の論考があったと記憶している。だいたい、記憶術というのは演説(現代でいえば著述)の構成を考え、それぞれのパートでいうべき内容とその順番を記憶しておくための技術であった。例えば出だしの序の部分の内容は教会の入り口と関連して覚える。次に内容は教会のどこそこの回廊とかへ順番に内容をしまって覚える。最後のの締めくくり部分は祭壇と結び付けるとかね。そうしておけば原稿がなくても最初は入り口それから中へ入り教会の中を順番に思い出していけば流暢に効果的な演説ができる。つまり場所と記憶はセットなのだ。現代でいえばファイルのある位置と内容が建築のそれぞれの部分なのである。

 オースターの書き方は孤独、あるいは記憶をテーマとした作品として小説として書くための材料を並べていくパートにあたるものが各段落のようだ。まだ順序はついていない。思いついたままに並べていく。もちろん自由書記だから脱線もある。そうするとinvention of solitudeは将来の著作のあらすじやパーツのつもりだったのではないか、というわけ。まだ全体の5パーセントも読んでいないが今のところそういう印象だ。これは第二部についてだ。第一部は父についての作品としてある程度すでに作品としてまとまっている。

 したがって私だったら、タイトルは「孤独をテーマとした将来の仕事のための道具箱」とか「パーツ」とでも訳すかな。


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