穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ポ-ル・オースター「孤独の発明」続き

2018-03-04 08:59:17 | 書評

 著者の孤独に対する立場は中立的である。孤独を称揚するわけではない。読んで感じるのはむしろ孤独を脱しようとしている。ダニエル坊やしかり、Sまたしかり、などなど。しかし孤独を出発点として。オースターによれば「ライプニッツによれば各個人はモナドだからすでに全世界、全宇宙を個人の孤独のなかに包含している」注。等身大の狭い部屋に閉じこもっていても人間は孤独ではありえない。まあ、彼はそう考えるわけだ。孤独を忌避するわけでもないのだ。

  (孤独な)自分を描写するためには自分の外側に出なければならない。目は外側しか見れない、とウィトゲンシュタインもいっていた(?)。オースターは書いている、そのままでは自撮り(ジドリ)はできない。自分の孤独を描写するためには自分の孤独な部屋から外へ出て、目を自分の外側に置いて観察しなければならない。この辺は弁証法的アクロバットといえるだろう。ヘーゲルの言葉でいえば、「自分のほうに折れ曲がる」わけだ。

  さて原題であるが、The Invention of Solitudeのsolitudeはこれで片付いたわけだ。残るのは前置詞のofである。これはいわゆる出所、根源を表すofであろう。つまりタイトルの意味は「孤独を出発点として行われたさまざまな省察」とでもなろうか。

注:ライプニッツは宇宙の最小単位(原子)はモナドで、各モナドは全宇宙を包含しているといったが、各個人がモナドである、といったかは確認していない。

 


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