穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

A43改め230125

2023-01-25 17:09:42 | 小説みたいなもの

 Xが現れるのは夜遅くなってから、ほとんどは十二時過ぎである。どうも知覚と言うものは自我と言う殻を漏れ出してくるらしいな、とあれこれ考えた末に秀夫は仮説をたてた。自我と言う壁がもろくなると漏れ出してくる。人間は動物と違って自意識の塊みたいなものである。自我と言うのは、エゴと言ってもいいが各自の知覚、感情、表象、意思を守っているのかもしれない。動物なんかも進化の度合いに応じて自我が発達してくるものの、人間に比べるとはるかにやわである。特に集団生活をしている種はそうである。例えば鳥などはそうだ。勿論鳴きかわす声によってコミュニケーションを取っていると言われているが、瞬時に危険を察して、ナノ秒単位で一斉に逃避行動をとるが、あれなどは鳴きかわすだけでの伝達では説明できないのではないか。海中で泳ぐ小魚の大群が見事な集団行動を見せてマグロなどの大魚から集団を守るが、あれは水中の音速では説明できない。
 そうするってえと、彼は考えを一歩進めた。人間の場合、社会で働いている時間には自我がしっかり機能していないと危ない。自我の殻が緩むのは緊張がほどけた時である。よく世間では言うじゃないか。酒で酔っ払うと口が軽くなるとか。口も軽くなるが自我の殻ももろくなるのだ。会社での昼間の緊張が解けて帰るときにも緊張がゆるむ。一杯途中でやればもっと緩くなる、そして家に帰って風呂にでも入って寝れば意識のレベルは最低になる。そんな時に立花の自我が漏れてくる。これは受け手の自我の殻にも言えることだ。秀夫の自我の防衛機能も夜には低下する。だから相手の漏れ出た知覚も自我の防御陣地をやすやすと突破してくる。そんなところでどうだろう、と彼は結論づけた。
 そうすると、プラトンに習って数式で表すとどうなるか。発信側の出力と受信側の能力*、それに週波数能力の三能力の因数がいる。万有能力のように万有能力の方程式は使えないだろう。
*万有能力の場合の重量に相当、周波数は万有引力には概念なし。
#万有引力では表現できない。
  &幽霊語である人格
類縁語というか、別名というか人格と言うことばほど、親戚が多い言葉は無い。そして語釈というか定義のない言葉群はない。
たとえば、テレビという商品がある。エアコンと言う商品がある。これには別称と言うものがない。ま、エアコンは(電気)冷房、暖房と言うことばもあるがほとんど使われない。スマホもほかに呼びようがない。ガラケーなら携帯電話と言う別称があるが、ほかに言い方は無い。そして定義しようと思えば、べつに定義する必要も無いのであるが、ずばり定義できる。定義するのもバカバカしいほど言葉にまぎれがない。パソコンも歴史的には、Radio・shackやTandyの8bit、16bitワンボードマイコン、マイコン、ラップトップコンピュータと変遷してきたが今はパソコン以外は通用しないだろう。
人格の類縁語、あるいは同義語と思われるものは多数ある。個性、自己、個人、自我、英語で言えばペルソナ(パーソン)、エゴ、セルフなど。もっとも辞書には定義がある。広辞苑によれば人格とは「道徳的行為の主体としての個人」であるとし、「自己決定的な自律的意思を有し、それ自身が目的自体であるところの個人」とある。前半はともかく後段はなにを言っているのかわからない。
哲学者の言及はもっとばらばらで統一的な見解は無い。現代の心理学でまともな定義があるとも思えない。ヒュームの言葉はちと面白いから引用してみる。「人間とはおもいも及ばない速さで次々に継起する、様々な知覚の束ないし集合にすぎない」
フロイトなんかによるとエゴと言うのは(性的)欲望の屈折した表現となるらしい。



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