穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

夢の検証

2023-01-17 08:25:00 | 小説みたいなもの

 このところの狂ったような残暑も今日は落ち着いてどんよりと曇った肌寒いような日だった。彼は大江戸線の若松河田の駅から地上に出た。
 この間やめた会社は毎年職員名簿を作成して全職員に配布している。彼女が整理した本棚には一番左側の目立つところに職員名簿があった。
赤の他人の表象が彼の知覚に侵入してくることに悩まされている。その表象も動画なのである。夢の中だけではなくて街中を歩いているときにも入ってくる。階段を下りているときなどに彼の視覚を占領されると、踏み外して転落してしまいそうになる。
 憑依するというか、受信するというかはやはり何らかの関係がある人間の可能性が高いのではないか。不図思いついて彼は職員名簿の一番新しい版を本棚から引っこ抜いて机の上にで開いた。
 まず退職時に所属していた部署所属の名前を見た。続いてこれまで所属していた課を順に新しいところから見て言った。取り立てて記憶に引っかかるような人間はいない。そのうちに一人の人間の名前のところで視線が停止した。トラブルと言うのではないが、代理店との問題で苦情を持ち込んできた男がいる。その男が担当している代理店から苦情を持ち込まれて、ちょうどその職員が出張していたので彼が応対した。そして便宜を図ってやったことがあった。ところがその職員が出張から帰ってきて、その代理店から何か言われたらしい。血相を変えて怒鳴り込んできて部長にクレイムしたことがあった。メンツをつぶされたというのである。ま、サラリーマン社会ではよくあることだが、非常に不愉快な記憶ではあったが、彼はすっかり忘れていたのである。
 ほかに今のところ思い当たる人間もいないし、一日一万歩の日課の目標も毎日同じになってしまっている最近ではあるし、目先を変えて散歩がてら行ってみることにしたのである。彼は新宿区のZ町に住んでいた。もっとも昨年の名簿だから今もそこにいるかどうかは分からない。番地から見るとマンションではなくて一軒家のようだ。白日夢つまり彼の知覚に突然飛び込んでくる映像では周りを低層階のマンション風の洋館に取り囲まれた日本家屋の一軒家なのである。はたしてそこが白日夢に現れるロケイションかどうかお楽しみというわけである。
 方向感覚の取りにくい街であった。道幅がやけに広く交通量が多い大通りが不規則にぶっちがいに五差路、六差路に交差している。あらかじめ地図で新宿よりを右に入ると確認しておいたのだが、方向が分からない。結局三つ四つ違う街に入り込みようやく目的の街にたどり着いた。
 地上に出ると東新宿のほうへすこし歩いてから左に曲がる。ここ何回かの夢の中に現れた「夢の中の相棒」が家に帰る道筋を辿ったのである。非常に鮮明な「天然色で立体的な」夢で道筋をはっきりと把握していた。夢を思い出しながら道をたどる。とうとう日本家屋が残っているところは見つからなかった。もっとも路地裏すべてをうろついたわけではないから見落としているのかもしれないが。
 大通りから車一台がようやく通れるような曲がりくねった道を入り込む。道の両側には三階建てくらいのあまり広くない地所一杯に損をしては大変だというように、むりやり建てたような低層マンションが立ち並んでいる。一昔前までは日本家屋だったのだろうが、親の代替わりでコンクリートの洋館に建て替えられたらしい家屋がある。家屋やマンションの間にはすきまがない。なにか気の滅入るような街だ。昼下がりの街には人通りがない。猫や犬も一匹もいない。
 もっともよく考えてみると相手は男性か女性か分からない。彼の知覚に飛び込んでくるのは相手の視界の中のものであって相手の顔ではないから確認できない。当たり前である。相手が鏡でも見ていない限り自分の顔が自分に見えるわけではない。ウィットゲンシュタインの言う通り、いや彼が言うまでもなく常識である。ただあたりが暗くなってから帰ってくるところをみると勤め人、いやさ、サラリーマンであることは間違いないようである。

 彼は徒労に終わった探索から足を引きずりながら帰った。携帯の歩数計をみると7631歩である。歩きなれない道を歩くとかなり疲れをおぼえるものらしい。

 



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