いったい誰なんだ?と彼はイライラして考えた。彼の知覚がスイッチする頻度が増えてきた。彼の脳内で独自にこのような視覚が創出されることはありえないように思えるのである。
最初これは憑依の一種だろうかと疑った。とすると彼の知っている人物になるが、相手の姿かたちが分からない。相手の視覚、つまり何を見ているかはわかるのだが、カレ自身を見ることは出来ないわけである。この辺がまどろっこしい。相手の見ている人物、景色からカレを判断するしかない。昼間の活動が分かれば、少しはヒントがある。例えば同じ会社の人間であれば事務所の有様で確認できる。また別の会社であっても大体周囲の状況でどこの人間だか見当がつく。しかし、秀夫の視界が乗っ取られるのは大体が深夜であるので、そのようなことは分からない。相手の性別も不明なのである。小さな婦人用のハンドバックでも下げていれば判断がつくのだが、いつも大きなショルダーバッグを持っている。今時は女もこういうのを持っている人が多い。電車の中でスマホを見ながら化粧をしている不心得な女がいるが、相手がスマホに自分の顔を映していれば一発で性別はおろか人物も、それが知っている人物であるかどうか、一発でわかるのだが。
そこで彼に特別に関心を持っている人間、なかんずく恨まれるような人物ではないか、とそういう人間をリストアップした。大体がそういう人間は彼にはあまりいないのである。彼はあまり熱心に友達付き合いをしない。したがって他人とトラブルになるような場合はほとんどないのである。ただし、長い人生ではむかし何かのトラブルがあったのかもしれない。大体、こちらはたいして意識していないのに向こうで一方的に被害者意識とか敵愾心を持たれるということはままあるが、そうなるとまったくお手上げである。
手がかりと言えば、帰宅時の様子とか寝る前の寝室の様子が断片的に送られてくるだけである。よし、こうなったらカレの家を突き止めるのほうが可能性があるかもしれない。
彼に分かっているのは鉄道の地下駅から地上に出て十五分ほど歩いた距離に彼の家があるということである。駅の名前は分からない。必ずしも地下鉄の駅とは限らない。現在ではJRでも私鉄でも地下に駅がある。それも都内だけではなくて郊外の駅が地下にあることも多い。彼は途方にくれた。第一首都圏だとも断定できない。
カレの帰宅する家までの様子もぼんやりと分かる。彼の家までは中層の六、七階のマンションや、二階建ての洋館が隙間なくびっしりと並んでいる町であり、彼の入っていく家だけが古い木造の二階建てである。敷地はかなり広く百坪近くありそうだ。町並みはほとんどが洋館であるが、二軒ほど相当に古そうな木造の二階建ての長屋のような木賃アパートが残っている。
周りはすべて洋館に囲繞されている。都内では木造の家が残っているところは少ないのではないか、とあまり都内の住宅事情に詳しくない彼は考えた。そうすると、これは近郊の家かもしれない。