JS老人が第九のほうを向いて「あなたが客を呼び込んでいるみたいだな」と言うので老人の視線の向いているほうを振り返るとチョンマゲを頭に載せたフリージャーナリストの五百旗部氏が女主人に会釈しながら店内に入ってきた。
「皆さん、自粛疲れがでたんでしょうね。我慢できなくなって街にさまよい出たみたいだ」
頼りなげに頭の上で揺れているチョンマゲを気にしながら彼は一座に加わった。
「コロナ騒ぎでお忙しそうですね。すっかりお見限りで」
「ハッ?」と彼は一太刀不意打ちを浴びせられたように立ち竦んだ。
「取材で多忙を極めているでしょう」
「とんでもない。商売あがったりですよ」
「へえ、ジャーナリストは忙しくなるかと思っていた。飲食店と同じなんですか」
「覗き屋稼業もこう世間が自粛もムードでは商売できません」
「そんなもんですかね」
「なんだか話が弾んでいたようですね。コロナの話ですか」とチョンマゲは確認するように聞いた。
「そうじゃないんですよ。橘さんのパチプロ商売が立ちいかなくなったというんですよ」
「なるほど、政府はとうとう休業しないパチンコ屋は店名を公表すると言ってますからね」
「それで馬券師になろうというんですが、競馬もコロナの感染者が出れば開催を中止するというので橘さんが困っているんですよ。パチプロでは休業手当も出ないそうで」
「ははあ」
「それにね、日本ではまだIRが成立していないからカジノもないし、という話をしていたんでさあ。あなたはカジノなんかにいくんですか。仕事柄取材で海外にいくこともおおいだろうし」
「ええ、好奇心が強いほうだから機会があれば覗いてきましたがね」
「さっきも話に出ていたんだが、海外ではカジノが公認でヤクザや暴力団が関係していないから安心して遊べるというのは本当ですか」
そうねえ、とチョンマゲは首をひねった。女ボーイが持ってきたコーヒーを一口啜ると、なにか汚れがカップについていないかと目を細めたが、
「裏社会が、マフィアとかね、そういうところが関与しているかどうかというのは表面からは海外ではわかりませんからね。日本では公認されていないから歴然としていますがね。
とにかく公認されているからこそこそと人目をはばかりながら賭場に入って、怖いお兄さんに監視されることはないですね」
しかしねえ、と彼は考え考え付け加えた。雰囲気は場所によって大きく違いますね。小さなカジノは危険かもしれない。例外なくそういうところは雰囲気が暗いからね。インチキをされているのかもしれないと考えることもある。モナコとかニースのようなところは安心ですけどね」
橘さんが同意のしるしに頷いた。
具体的に言うとどういうことが、と誰かが聞いた。
「一度ウイーンで入ったカジノは映画で見る日本の賭場のように暗い雰囲気でしたね。ルーレット台が一つしか無くてね」
「ルーレット台は店で操作できるというのは本当ですか」
チョンマゲはギロリと視線を質問者に向けた。
「常識でしょうね。しかし大きなカジノではそういうことはまずしないようですね。さっき言ったところとかラスベガスの大きなカジノでは心配しなくていいようです」
それでウイーンの賭場はどうでした、と橘さんが聞いた。
「一言で言えば店の雰囲気が暗い。これは曰く言いようがないが、直感的に肌で感じる。目で暗さを感じるのではない。肌に迫るのです」といって一同を見回した。
「入った以上そのまま出るのはまずいので適当に低いベットで何回かやっていると、店内に東洋人の集団が入ってきた」
「客だったんですか」
「そうらしい。みんな細い目が吊り上がっていてね。種族的特徴が顕著でした。全員がグループらしい」
「日本人ですか」
「もちろん違います。もっとも彼らは集団にも関わらず一言も話さないからよく分からない」
「どういう連中なんだろう」
「直感ですけどね、北朝鮮を連想しましたね。ピンときました。ウイーンは彼らの欧州での諜報活動の拠点ですからね」
CCが言った。「彼らが現れたのは五百旗部さんが現れたからなんでしょうかね」
「関連がある、というのが直感でしたね。変ね客が来た。どうも日本人らしい。風体が怪しい、というので店の誰かが通報したのでしょう」
へえ、と誰かが言った。
「もちろん推測ですよ」
「どうしてだろう」
「わかりませんね。私が諜報関係者で彼らとつながりのある店を探りに来たと疑ったのかもしれない。なにしろ私はこの風体だし、どこにいっても怪しまれるんでね」とみんなの笑いを誘った。
「あるいは」とJSが言った。いいカモが来た。篭絡して利用しようと集団で押し寄せたのかな」
「その可能性はありましたね。それで私も気味が悪いので、すぐに店を出たんですよ」
橘さんがチョンマゲに聞いた。「ラスベガスはどうですか、あそこは大きな店でもルーレットは一台か二台ぐらいしかないが」
「だけど店自体が大きいから、あまりインチキは心配しなくてもいいんじゃないかな。しかしあそこで気をつけなければいけないのはオンナですよ。部屋にまで入り込んできますからね」
橘氏はなにか思い当たるところがあるらしく頷いた。