穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ティファニーでおせちを

2015-01-01 18:07:43 | モディアノ

あけましておめでとうございます。皆様はアカな気分になっていませんね。ましてブルーな気分にはなっていないと思います。おとそで邪気をはらえばそんな気分にはなりません。

わたしはどうも読書傾向を探るという癖がありまして、このところノーベル賞作家のモディアノ氏の作品をあらかた読みました(翻訳で)。彼の場合でも、どんな本を読んでいるのか気になりまして、解説等でもそういうところに目がいきます。

最近ラディゲの作品を読んで書評したのも彼の「8月の日曜日」に頻出する「プロムナード・デ・ザングレ」がラディゲの影響だというので読んだ訳です。パリ市内セーヌ河岸にあるニースが本家の「プロムナード」のまがい物に触発されただけのことらしいと分かりましたが。 

また、あるところで彼の読書履歴でカポーティの「ティファニー」を上げているので未読だったのを幸いに読んだわけです。結論から言うと、これらの作品とモディアノの作品との関係、影響は感じられません。

もっとも感銘を受けた作品が直に自作に影響する方が珍しいのかも知れない。影響を受けているとすればもっと深いところで感銘を受けているということでしょう。あるいは営業上の理由で本当に影響を受けた作品は隠すというのが作家かも知れない。

ところで「ティファニー」は新潮文庫で村上春樹訳でした。読後の印象は構造的にフィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」に酷似しているということでした。後者は村上氏の訳の評判が高い。これも村上訳というのでちょっとびっくりしました。

ところが、村上氏の訳者あとがきではグレート・ギャツビーとの比較には全く触れていない。それなら、ここで書く意味があるかなと。 

続く、、



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