ねえ、教えてよ、弁証法っていったい何なの。憂い顔の美女が元パチプロに質問を発した。ストーカーに不意を襲われてぎょっとしたように彼はすこし顎を引いた。
「いかれた連中には弁証法フェチが多いじゃない。弁証法を物神化しているわけね。そのわりには弁証法が何かと説明できる奴はいないのよね。教室なんかでそういうことを得意そうに言っている連中に質問してもポカンとするだけだもの。神様って説明して、っていうと大体同じ反応を示すわね。自分じゃ説明できないけど、内心では分かりきったことと安心しているのね」
「うまいことを言うね」と彼は感心した。弁証法とはなにか、と説明できる人はまずいないでしょう。玄人でもそう聞かれるとうろたえるからね。ガダマーにもヘーゲルの弁証法という著書があるけど、どこにも説明がない。ま、ちょっと厳しすぎる見方だから、逃げ口上や間接的な説明以外にはないね、と言い換えようか」と元パチプロ氏は答えた。
「弁証法って翻訳語でしょう。いつごろ誰が訳したのかしら。案外うまい訳かもね」
「たしかに、言語はギリシャ語由来のディアレクティケだが、直訳しても弁証法ということにはならない。しかし、日本語訳語のほうが適切な表現かもしれないな」
日本語の意味からすると弁じたてて証明する(あるいは議論に勝つ)方法ということになるね、と彼は言った。
フンと鼻を鳴らすと憂い顔の若き美女はちょっと考えた。「アタイはね、証明には三種類方法があると思うのよ」と口を閉じた。彼は黙って先を待った。
「最初は幾何学的証明よね。チョチョイと作図して示せば一目瞭然、それ以上の根拠を示せという馬鹿はいないわね、
第二は実証的というか、自然科学的なものね。仮説が実験と一致すれば証明されたことになるというわけ。もっとも、帰納の問題とかあるけどね。
第三は弁じたてて白黒つけるしか方法がない場合ね。法廷での弁論とか政治論争なんてのはその典型だわね。いわゆる弁証法はこの範疇になるんだろうな。だけどこの範疇に入るのにはいろんなものがある。政治や裁判ではアリストテレスも言うようにレトリケ(レトリック)と言われるし、ソフィスト的な詭弁もこれに入るわね」
じゃあ、弁証法という小区分を規定するものは何かということになるのかな、と元パチプロ氏は質問した。
「ギリシャ語ではどうしてディアレクティケというのかしら」
「ディアというのは横断的というか亘ってということらしい。直径のことをダイアメタというのはそういうことだ。差し渡しというわけ。レクトというのは話すということだ。レクチャーなんかも同じ語源だろう」
「そうすると、複数の人の討議してなにが正しいか探ろうとすることか。プラトンの対話編なんかそうだわね。実際には一人芝居を複数化しているみたいだけど。そうするとへーゲルの場合はどうなるのかな。正反合とかテーゼ、アンチテーゼ、シンテーゼとか」
三分法というのはヘーゲルの大好物なんですよ。なんでも三枚におろしちゃう。それで討議者はふたり、すなわち正君と反君が討議して合(格)という答案を書くわけだろうね。もちろんヘーゲルの一人芝居でみんな彼の頭の中でやるわけさ」
「なーる、一応通じるわね」