穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

104:マルクスにはヘーゲルの没後弟子を名乗る資格はない

2020-06-01 10:25:01 | 破片

 近くに巨大な存在感を与えるものの圧力を感じて振り返ると下駄顔老人が店に入ってきた。
「お二人とも久しぶりですな」と声をかけた。
「ご老人は外出自粛要請中も来ていたんですが」と新馬券師が聞いた。
「うん、二、三回来たかな。何を話していたの、彼女まで熱心に聞いていたじゃないか」
「いや、外出自粛中に家にいるとガキのまき散らす騒音が耐え難いので山手線に避難したんですがね、その時電車の中で学生時代以来ご無沙汰していたヘーゲルを読み返したんですよ」
なるほど、と老人は頷いた。「あの男には悩まされたからな」
「ご存じなんですか」と信じられないような顔をして第九が聞いた。
「多少な」
彼が個人的に知っているドイツ人がいるのかと思って「やはりドイツ人ですか」と聞くと彼は怪訝な顔をした。「ヘーゲルってどのヘーゲルの話をしているの。哲学者のじゃないのか」
「その哲学者ですよ。あなたの話し方が個人的なお知り合いのようだったので」と弁解した。
老人は「そうか、それは失礼したな。俺も彼の思想はしらない。読んだこともない。しかし俺の学生時代はアカの学生運動が盛んでね。その後出てきた過激派とか全学連なんかが子供の遊びに見えるほど恐ろしい連中だったよ。日本国をひっくり返してソ連のスターリンに献上しようという連中が大勢いた。その連中が何かというとマルクスを持ち出して、同時にヘーゲルの弁証法がどうのこうのというわけよ」というと注文を取りに来た女ボーイにジンジャーエールをオーダーした。

「ところでマルクスはヘーゲルの弟子なのか」と老人は太った赤ら顔の男に聞いた。
「いや、マルクスはヘーゲルの死後ベルリン大学に入りましたから弟子ということはないでしょう」
「そうすると、没後弟子を気取ったのかな」
「そうですねえ」と新馬券師は考え考え答えた。
「ヘーゲルとマルクスはまったく関係がないと思いますね。当時ヘーゲルの名声は大変なものだったから、それを利用して自分に箔をつけようと利用したんじゃありませんか」
「その程度の男か」
「たしかにヘーゲルは弁証法ということを言いましたが、弁証法という言葉はギリシャ時代からある。それにヘーゲルの思想は弁証法で覆いつくせるものでもない。第一ヘーゲルの歴史観はマルクスと全く違う。歴史は弁証法的過程を経て、当時のプロイセン国家は絶対理念を実現した最終的なものであるとヘーゲルは言っているんですよ。マルクスがぶっ壊そうとしていた国家ですよ」

それはおかしいな、と老人はつぶやいた。
「私は昔も今も彼らは新興宗教というか似非宗教と思っているんですよ」
「新興宗教にしてはばかに長く続くね」

それまで彼らの議論を黙って聞いていた憂い顔の美女は膝の上にのせていた左足を床の上におろすと、太もものあたりをこすりながら言った。
「彼らは自分たちの思想が科学的だというでしょう。それで無知な大衆はだませたのだが、自分たちの考え方が科学的だと宣伝し始めたら新興宗教のやり口を疑うをべきよ。そう言われると無知蒙昧な大衆はひれ伏してしまう。マルクスのお友達でエンゲルスというのが書いた本にたしか、空想的社会主義から科学的社会主義へ、とかいう著書がある。こういうことを言い出したら似非宗教を疑わなければならないわね」
一同は改めて感心したように彼女を眺めた。


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