穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

ハイデガーの疑わしい功績

2015-03-30 06:50:48 | ハイデッガー

語源遊びには限界がある。西欧哲学の言葉(概念)は古代初期にギリシャからローマに移植された段階でラテン語に翻訳されている。

つまり厳密な一対一対応かどうか、疑念が残る。そしてそれに新プラトン的な解釈やキリスト教的な考えが反映し、解釈が変形して現代に伝わる。まあ、ハイデガーはそう言っている訳である。

それはほとんどがプラトンのものである。これは初期教父時代の激しい異端闘争でプラトン派が勝利した結果である。

ギリシャの哲学にしてからが、いわゆるソクラテス以前の哲学者の言説はギリシャ時代でも伝聞としてしか残されていない。すなわち主としてアリストテレス以降の文献での引用という形でしか残っていない。ソクラテスそのものからしてプラトンや他の後世の人物の著書のなかで述べられているだけである。まあ、この場合は一次伝聞では有るから少しはましである。

ハイデガーの言い分はもっともの様に見えるが甚だしい片手落ちである。なんといってもプラトンとならんで後期中世西欧哲学(神学)ではアリストテレスの影響が決定的なのだが、アリストテレスの哲学の大部分は11世紀にアラビアから欧州に流入したものである。当時の哲学先進国アラビア文化圏にアリストテレス文献がまとまった形で伝わり、その研究も行われていた。

したがって、ハイデガーのギリシャ >> ローマ >> 近代西欧という図式は 

小流れとして ギリシャ >> ローマ

本流として  ギリシャ >> アラビア >> 西欧中世

として捉えられなければならない。まず考究されなければならないのは、ギリシャ語からアラビア語にどう翻訳されたか。アラビア語からラテン語に翻訳されたときにどういうことが起こったかが研究の対象にならなければならない。寡聞にして才人ハイデガーがアラビア語に造詣があったという話は聞かない。

こういっては何だが、ハイデガーの文献講釈にはどうしても才人臭が気になる。

 

 



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