三四郎は学生時代から気まぐれでしばらく日記をつけていたと思うと別に特別の理由も無く止めてしまう。また何かのきっかけで日記を付ける、ということを繰り返してきた。現在の日記は会社を辞める前からつけ始めて今でも書いている。今回は意図的であり、具体的な目的もあって始めたので、その目的は会社を辞めて消滅したのであるが、惰性で今でも続けている。
日記と言ってもつける日もあれば数日かかないこともある。従って今後はノートということにしよう。彼は記憶力が弱い。昔のことは茫茫として鮮明に想起出来ない。すぐに記憶から飛去ってしまう。したがって日々のことをノートしておくと読み返して意外に役立つことが多い。それで今回は中断もせずに続けているのだろう。
以下では直接彼のノートを引用しよう。
&:今日から又日記をつけることにした。俺のまわりには陰謀が渦巻いている。なにかおかしいなということが、会社にいても感じられる。しかし意識にたまたま登ってもすぐに消えてしまうし、それらの徴候が何を意味しているかは把握出来ない。何しろ陰謀というものはコソコソと人の背後で隠微のうちに進行するものであるからして。
&:段々分かって来た。会社のなかで起こっている生存競争のとばっちりを受けているのだ。俺は生来徒党を組むことを忌み嫌う。つまりだな、集団生活にはむいていない。
なにしろ日本の会社というのは派閥争いが激しい。うっかりしていると渦に巻き込まれて奈落に引きずり込まれるか、渦の中で粉々になるか、渦のそとにはじき出されてしまう。俺の一世代上の先輩には派閥争いが飯より好きな連中が多い。学生運動をやっていた連中で派閥争いが生き甲斐のような連中なのだが、そろそろ会社で徒党を組んで暴れ回れる地位になったのである。始末に負えない。
経営陣に媚を売って実権をにぎり、彼らを忌み嫌う役員を社外に追放する工作の先棒をかつぐ。何時の時代でもどんな組織でも彼らのような跳ねっ返りの青年将校を操って組織の実権を握ろうとする者がいる。要するに彼らは持ちつ持たれつの関係なのである。大げさなたとえをすれば226事件の後で統帥派が政治の実権を掌握するようなものである。
彼らは入社した時から自分たちの利用出来る役員と邪魔になる役員を識別する臭覚を持っていたらしい。それじゃなければ学生運動で内ゲバを生き残れないのだろう。三四郎が入社した時の社長が新入社員に訓示した。先輩がその印象を聞いたので、率直に感銘を受けたと答えた時にその先輩が明らかに軽蔑したような薄ら笑いを浮かべたのを覚えていた。2、3年前から始まった派閥争いでその社長は社外に追い払われてしまった。他にも常識的で温厚なと三四郎が見ていた役員はすべて粛正されてしまった。
当然一つの派閥が出来れば反対勢力が出来る。第三勢力も出来た。俺の場合問題なのは、俺はどの派閥にも属していないことなのだ。これくらい彼らにとって手の出しやすい相手はいない。
社内で情報が飛び回るスピードには驚かされる。実は昨年俺も「226事件の青年将校派」からアプローチを受けた。俺はどう見ても会社員には向いていないが、ジプシー占いの婆さんの言葉ではないが、運が間欠的に巡るらしい。ちょうどその頃は運の向いていた時機で彼らも俺を仲間に入れた方がいいと思ったらしい。