「で、ミステリーはやめたんですね」
老人はTを見た。
「それからポルノへひとっ飛びしたわけですか」
「そう軽業師みたいにはいきませんでしたがね。まあそういうことです」と言うと二日は剃っていそうもない顎のしたに伸びた髭を撫ぜながら続けた。「アンチエイジング対策で始めたわけだから、考えてみればミステリーをしんねりむっつり作っているよりかポルノのほうが効果がありそうでね」
「自伝的要素が多いんですか」と若い時はさぞ活躍したであろう老人の風貌を見つめながらTは問い詰めた。
「いや、これは恐れ入った。自分の経験したことを書いたって大したことはありませんよ。これは稀代のドンファンが書いたって同じことです。カサノバの自伝だって退屈で長たらしいのを見て分かるでしょう。想像ですよ。想像」と老人は続けて話した。「バイアグラを飲むつもりで書くんですよ。バイアグラは副作用がきつそうだしね。ポルノを書いている分には副作用もないだろうし」
「想像と言ってもタネが必要でしょう。どういったところからタネを探してくるんですか」
「たとえばジルドレの伝説とかね」
「ははぁ。それでどこかの懸賞に応募したんですか」
「冗談をおっしゃってはいけません。応募なんかできる内容じゃないでしょう。公序良俗に反するものを」
「それほど猛烈なんですか」
「まあね」と老人は面白そうに笑った。
「さっき言われていたジルドレというのは幼児を大量に虐殺した人物でしょう。しかしなかなかポルノ風には書けないような気がする。たいしユイスマンの(さかしま)が扱ってましたよね。しかし具体的には書いていなかったと思うな。想像力が足りなかったのかな」
「あなたに向かって口幅ったいことを申し上げるようだが、ポルノを書くというのも結構難しいものですよ」
「それじゃ疲れちゃってアンチエイジングどころじゃなくなるでしょう」
「そう、書くだけで、いやその前に想像するだけで疲労困憊することがありますね。腰が抜けたりしてね」
「本当ですか」
Tは老人の感想を聞くと本気で言っているのか自分が揶揄われているのか確かめるように老人の表情を観察していた。
Tは聞いた。「そうすると完成した小説はどこにも発表していないんですか」
「発表しなければ張り合いがないじゃないですか。アンチエイジングの効果も半減する」
「すると自費出版でも」
「いやいや、有料の読書サークルがありましてね。そういうところに卸すわけです」と老人は謎めいたことを言った。有料の読書サークルって何だろうとTは戸惑った。