穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

チャンドラーとガードナー

2019-05-06 07:36:20 | 妊娠五か月

 「レイモンド・チャンドラーの生涯」という本を何週間も前から読んでいる。まだ半分も読めない。清水俊二訳、早川書房1981年発行である。いろいろと情報が詰め込んであるが、記述がダラダラしていて一度に五ページも読めない。深夜丑三つ時にぱっと目が覚めて再び眠れなくなった時に少し読む。するとすぐ眠くなるのでいい。

  面白い本はそういう時には読んではいけない。つい朝まで読んでしまう。翌日がつらくていけない。いままで読んだところで数十回(ちょっと誇張かな)アール・スタンリー・ガードナーとチャンドラーの関係が出てくるが、わけがわからない。つまりチャンドラーがどうしてガードナーに接触するのかが分からない。説明がない。

  本というものを読みだしたのが最近なので、ガードナーの本は読んだことは無い。法廷物の作品をおびただしく量産した作家ということしか知らない。少なくともチャンドラーの共鳴するような作風ではない。なにしろ口述筆記で一週間に一冊本を書いたという人だ。年齢は同じくらいでブラック・マスクへの登場は数年チャンドラーより早いようだ。

  そこでガードナーの本を読んでみようと探したがこれがまったくない。翻訳だけではなくて原書もない。洋書売り場が充実している二、三の書店をまわった。最近ではロスマグの本まで複数並べてあるのにガードナーの本は一冊もない。そこで推測の手掛かりが途絶えた。

  両者の交友は冒頭に紹介した本によるともっぱらチャンドラーがガードナーを訪問するということで、先輩としてガードナーを遇している。法廷ものというと基本的には謎解き小説でいわゆる本格というかアガサ・クリスティ風というか、チャンドラーが攻撃していたジャンルに入ると思うのだが。

  遅筆の彼が早書きの秘訣を教えてもらいに行ったのか。当時の流行で作品の映画化とかラジオの連載物化とか、新興のテレビにミステリーが取り上げられていたので、映画産業、放送業界、テレビ業界への売り込み方(契約の仕方)とか付き合い方などを聞きに行ったのか。

  とにかく妙な組み合わせだと思った。著者はその辺を説明しなければいけない。

 


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