穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

死肉食いの秘密

2019-05-05 08:11:00 | 妊娠五か月

 チャンドラーの長編はブラックマスク時代に寄稿した短編を組み合わせたものが多い。チャンドラーはこれをカニバリズム(屍肉食い)と自嘲気味に呼んでいたらしい。これは言うまでもなく発想力、構想力の不足を意味するものではない。

  彼の発想力というか表現欲を心理的深層で強力に触発する特定の情景、人物あるいは枠組みがあったと言うべきだろう。これはジャンルについてもいえる。チャンドラーほどの筆力があれば文芸作品であろうと一流の域に達していただろう。しかし彼は終生ミステリーの枠を離れなかった。村上春樹氏が「大いなる眠り」のあとがきでもこのことに触れている。村上氏によれば「彼が必要としていたのは、あくまで何かしらの枠組みであり、それがたまたまミステリーというフォーマットであったということではないか」と書いている。

  その通りだと思う。短編同士の結合だけでなく、前にも触れたが「大いなる眠り」と「ロンググッドバイ」についてもそれはいえるのだが、それ以外にも両作品に通底する家族関係の共通点である。すなわち、「大いなる眠り」の場合、高齢の資産家の家父であり、「ロンググッドバイ」の場合には、財界の重鎮であり強圧的な独裁者である高齢の家父である。そして対照的な姉妹である。すなわち「大いなる眠り」の場合、一応常識的な生活にも適応できる姉と精神異常で色情狂の妹の対比である。「ロンググッドバイ」の場合は、表面的には常識的な姉と色情狂の妹という取り合わせである。しかもいずれの姉の場合も既婚者で夫との関係が普通ではない。「大いなる眠り」の場合は夫が失踪している(あとで妹に射殺されたのがわかるが)、また「ロンググッドバイ」の場合は狂的な嫉妬狂いの夫である。

  つまりチャンドラーの作品にはインスピレーションを呼び興すために、レベル維持のためには類似の枠組みが必要なのである。

 


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