久しぶりに携帯を買いにいった。数年使っていたガラケーの動作が不安定になることがあり、液晶は問題ないが音声が著しく劣化したのでとうとう買い替えることにした。
ガラケーからガラケーでなんら問題はなかったのであるが、久しぶりにスマホにした。その理由は第一にスマホの進化に対する興味である。アンドロイドのOSが1.6の時代に一年ほど使っていたが、これは私のライフスタイルには全く関係ないな、というのでやめた。聞くと最新バージョンは5だという。さぞかし進歩して便利になっただろうという興味である。
当時からiPhoneが圧倒的人気であったが、販売代理店がソフトバンクだったので対象外であった。最近はAUやドコモでも扱うというのでそれもあって、アイフォンを買うつもりで代理店に行った。
ところが某社某代理店に行くと、Iphoneを薦めない。ネガティブなことをほのめかす。これは意外だった。表向きの理由はiPhoneは売るだけで後のケアはしない(出来ないか?)、アップルでする。それは不便だということらしい。金も数万円かかるという。アンドロイドは自社で完全にケアするとほのめかす。ここでぐらついた。
そもそも、ガラケーからiPhoneあるいはスマホに移行しようと思った理由が、なにかあって質問しようと電話しても電話が通じない。いつも話し中である。繋がらない電話番号を案内するのは企業の反社会的行為である。そんなことでクレームをつけても時間のむだだ。なにしろ電話が繋がらないのだから。
私は考えた。これは世がスマホ時代に移行してガラケーのサポートにはもう人を回さないのであろう。それなら,私がここで折れてスマホにすれば、会社も一生懸命問いあわせにも応じるだろう。電話にもすぐ出るだろうと考えた。それでiPhoneはサービスが良くないと聞かされて方針を転換して結局某メーカーのアンドロイド機種をかわされた。これで酷い目にあった。
このシリーズを反時代的考察と名付けたのは、私の述べる不都合、苦情は時代遅れの私だけのことで、世の中の青少年婦女子諸君はすいすいとスマホ世界に浸入し、軽々と使いこなし何の不便を感じないのであろうと思ったからである。電車のなかや道路でスイスイやっているのを見るとそうひがむのである。 >