穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

比喩と六番目

2013-01-25 09:04:18 | 書評
まだグレート・ギャツビーです。

文章を充実させるのに、チャンドラーは人のまねの出来ない独特の比喩を使う。フィッツジェラルドは奇妙な単語の使い方をする、ということかな。

辞書の六番目以降の語釈を多用する。あるいはまったく辞書にないような語の選択をするのがSFである。すべての文章でそうである、というのではない。しかし、私感を述べればいささか多用しすぎる。

しかし、構成は驚くほど緻密なのに改めて気が付き、感心した。これが28歳の作者の作品とは驚く。技術というよりかはインスピレーションという言葉が頭に浮かぶ。

数学のように緻密な構成と魔法の呪文のように強力な文章の組み合わせがこの作品と言える。

そしてミューズの恩恵は二度と作者には降りてこなかったようだ。占星術風にいえば水星、天王星、月、太陽が二度と無いような角度を彼のホロスコープに作ったのだろう。

現代の大量生産作家、そして自らも自分の作品の行商人をかねる流行作家には思いもよらないことだろうが。