何故か、親族に彼を彷彿とさせる男がいるのである。で、そのような興味から読むのである。
今回は新潮文庫『ヴィヨンの妻』。戦後の短編八つを記載。私小説的作家と言われるが、どこまで虚実が腑分けされるか考証家、文芸評論家ではないからわからない。
しかし、私のスペクトル分析機でふるい分けで、勝手に判断しているわけだ。エトスの部分はおおよそ過たずにとらえているだろう。
親族と彼との違いは作家ではないということである。最後は経済学の大学教師だった。共通している点は酒飲みぶりである。生活破綻者的なところである。
妻を泣かせ、バー、居酒屋を意地汚く飲み歩く。
違うところは、上記のほかに、案外要領のいい男で最後は大学の学長になった。学生や同僚教授を手なずけて子分にする才能がある。
酒と同様に、それと分かちがたく絡み合って、彼の情欲を燃え立たせたのが左翼運動であった。
時代が変わり形勢不利となると、素早く転身して地方の大学教師に落ちていき最後はそこの学長になった。あの頃の大学にはこういう人たちがまた、多かったのである。
以上が太宰を批判しながら彼にはまっている理由である。
長くなった、ヴィヨンの妻ほかについては次回。