各作品に出てくる家族関係を見てみる。
#大いなる眠り
四百万ドル(1940年のドル価値で)の富豪である。マーロウといえども訪問するときは一番いいネクタイを締めて胸ポケットからはハンカチをのぞかせていなければならない。その依頼人は下半身が麻痺していて車椅子生活。温室の熱と厚く体に巻いた毛布が無いと体温が維持できない。
年を取ってからできた無軌道な娘が二人いる。姉のほうは賭博狂だが一応の世故には通じている。妹は未成年の色情狂であり、男が誘惑に反応しないと自分の実存が全否定されたと激怒して癲癇の発作を起こし、相手を射殺する癖がある。
#さらば愛しいひと
家族は出てこない。もっともヴェルマの夫は紙おむつをしているが。
#高い窓
馬のようにワインをがぶ飲みするウワバミのような老婆と自立できない大人の息子がいる。
#水底の女
家族の描写はない
#リトル・シスター
カンサスの田舎から出てきて女優として成功しかけた姉、その姉から金をむしり取ろうとする弟、彼は隠しカメラで姉の情事の写真を撮り、ゆする。この「むしりとり」は田舎の母親とカマトト女の妹もグルである。一応そういうことになっているが、この関係を小説の中で隠蔽することがミステリーとして必要なので具体的な描写はほとんどない。
#ロンググッドバイ
テリーに殺されたと思われている女は実業界の大物の末娘で色情狂である。姉は因業医者の妻で一応普通の人間だが、なんとなくこの妹にしてこの姉あり、というところがある。彼女自身もそういう述懐というか自己分析をマーロウに漏らしている。彼女は例の最後にマーロウと寝るというチャンドラー晩年のあっと驚く新趣向の相手である。ちなみに大いなる眠りの姉娘とこのリンダはマーロウの事務所に押し掛けているところはそっくり同じというほど似ている。
之によって此れを観るに、大いなる眠りとロンググッドバイの構造は酷似している。そして両作品が(たまたま?)チャンドラーのベスト・ツーである。解釈はいろいろあるが、この構図がチャンドラーにとって書きやすかった、筆が走りやすかったということだろう。理由は分からない。彼の身辺に、あるいは親戚に似たような姉妹がいて書きやすかったということかもしれない。
#プレイバック
家族の描写は無し。子供のカタキと無罪を勝ち取った女を執拗に追い回す父を家族物語と考えれば別だが。