ダウンタウンからの帰るさ、第九は外国でもトイレットペーパー騒ぎは起きているのだろうか、という疑問が脳中に浮かんだ。家に帰ると早速インターネットを漁った。アジアの近隣諸国を含めてトイレットペーパー恐慌は日本以外では起きていないようだ。そんな記事はない。彼は念のためにオイルショックの時の記事も検索した。1973年というからもう半世紀も昔の話である。やはり、日本以外でトイレットペーパーの買占めがあったというニュースはない。
社会的な大事件で、たとえば戦争とかパンデミックとかでは特定の商品が品薄になるというデマや思惑で大衆心理が惑わされて恐慌が起こるというのはあるようだが、トイレットペーパーが対象となることは外国ではないようである。しかも半世紀を隔てて全く違う恐慌が原因でいずれもトイレットペーパーが買占めパニック現象になるのは日本だけであるのは間違いないようである。
こりゃあ、何だ。日本人の種族性かな。種族心理学でも調べなければならない。フロちゃん(ジムクンド・フロイト)一派の深層心理分析に頼らなければなるまい。あるいはユンク教にも、と第九は思ったのである。日本人は種族としてまだ肛門性愛期にとどまっているのかもしれない。女性に限っては絶対そうだ、と彼は思った。柔らかいトイレットペーパーは懐かしいお母さんの手のひらの記憶かもしれない。
おや、と彼の視線はパソコンの画面に釘付けになった。韓国ではトイレットペーパーを便器に流さないという。便器の横にごみ箱が置いてあってそこに使用した紙を入れるというのだ。クレジットを見ると二、三年前の記事だから、いまでもそうなのだろう。理由も書いてあって、トイレのパイプが狭隘ですぐに詰まるからとか、紙の質が悪くて水に溶けにくくて詰まってしまうからだという。日本も便器の脇にごみ箱を置いて捨てれば新聞紙でもいいわけだ。尻へのあたりはすこしゴワゴワするだろうが。もっとも肛門性愛期とすると、違和感があるのかもしれない。第一臭くってしょうがないだろう。