仕事や日常が忙しくて、体が疲れていたせいか夜眠れない日があった。
どちらかといえば、ぼっーとしていて何も考えていないタイプと思っていたが、あれこれと考えていたら仕事も嫌になったり、朝起きるのがつらかったりと言うときに、だんなから「考えない練習」という本をすすめられた。
さわりのところだけ読んでまだ途中だが、いろいろな情報過多で、おまけに昔より多くの社会的な関わりがある中で、考えすぎと言うのは多々あると思う。
弓を引くときでも、何も考えなかった頃は、勢いよく矢は飛んでいたはずだ。考えていると、的に矢が届いていなかったりする。
朝礼のときに、本の紹介をしたら、後で○氏が、題名と著者をもう一度教えて欲しいと言ってきた。「わしゃ、寝られんでなあ」と。この狭い職場の中にそういう人がいるということは、世の中には、もっとたくさんのそういう気持ちの人がいるのではないか。
記憶力はなくなるが、経験したものは積み重なっているので、予測できる考えがある。そして、夢見る乙女ではないので、悪いほうへいったらどうしようと思ってしまう。
もう少し丹田呼吸を真剣にしなくては。腹が据わるように。そういえば、男性の和服のときの帯は、ちょうど臍下丹田を締めている。わたしも、男結びにしよっか。
明け方に夢をみて、それが何だったか考えて
また、熟睡できずに夢をみる。
で、何も考えずに、眠るときは眠ることを念じ
考えすぎないことを考えて、考え過ぎたりして。
でも、ここまでくると禅の話になるけれど、
わたしの考えなどは、浅はかで、些細なことと
感じます。