シリフォートはデリー南部にあるシリと言う場所に、
ハルジー朝の第3代皇帝アラー・ウッディーン・ハルジー
(1266~1316年)によってモンゴルの侵略を防ぐために、
1303年に建てられた城である。
石とレンガ造りの城は7つの門があったが、
現在は南東門のみが使用されている。
実際には城壁が残っているだけで城はなく、
クリケット場を始め、バスケットボール、テニスコート、射撃場、
ゴルフレンジ等、スポーツコンプレックスになっている。
城マニアの私であるから、
ゴルフ練習に行く途中で見かける城壁が気になっていたが、
城探検はしていなかった。
上部の看板の横から入ると城壁が見えるが、
進んで行っても何もない・・・。
左手にこんな入口が見えたので行ってみた。
入口をくぐると中にはモスクがあった。
モハマワーリー・モスクである。
中からさざ波のような音が聞こえてきた。
誰かいるのかと恐る恐る覗いたら・・・
音を立てて鳩が逃げて行った。
鳩の喉笛がコダマしていたのであった。
これはシリ・フォートの全体図である。
赤○:いつも行ってるゴルフ練習場等があるスポーツ・コンプレックス。
青○:モハマワーリー・モスク(上記)。
緑○:ハウズ・カーズ遺跡の池は水がめとして使用されていた。
黄○:シャープル・ジャットの一角にある
トーフェ・ワーラー・マスジットも城の一部。
なお、クトゥプ・ミナールにある未完成のアライーの砦も
アラー・ウッディーンが建てようとしたものである。
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ハルジー朝の第3代皇帝アラー・ウッディーン・ハルジー
(1266~1316年)によってモンゴルの侵略を防ぐために、
1303年に建てられた城である。
石とレンガ造りの城は7つの門があったが、
現在は南東門のみが使用されている。
実際には城壁が残っているだけで城はなく、
クリケット場を始め、バスケットボール、テニスコート、射撃場、
ゴルフレンジ等、スポーツコンプレックスになっている。
城マニアの私であるから、
ゴルフ練習に行く途中で見かける城壁が気になっていたが、
城探検はしていなかった。
上部の看板の横から入ると城壁が見えるが、
進んで行っても何もない・・・。
左手にこんな入口が見えたので行ってみた。
入口をくぐると中にはモスクがあった。
モハマワーリー・モスクである。
中からさざ波のような音が聞こえてきた。
誰かいるのかと恐る恐る覗いたら・・・
音を立てて鳩が逃げて行った。
鳩の喉笛がコダマしていたのであった。
これはシリ・フォートの全体図である。
赤○:いつも行ってるゴルフ練習場等があるスポーツ・コンプレックス。
青○:モハマワーリー・モスク(上記)。
緑○:ハウズ・カーズ遺跡の池は水がめとして使用されていた。
黄○:シャープル・ジャットの一角にある
トーフェ・ワーラー・マスジットも城の一部。
なお、クトゥプ・ミナールにある未完成のアライーの砦も
アラー・ウッディーンが建てようとしたものである。
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