教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

千葉・成田市に医大誘致構想、医師増加狙うが、地元では慎重論も

2010年11月26日 15時07分45秒 | 受験・学校

『千葉県成田市www.city.narita.chiba.jp/)が医科大誘致に向けて動き始めた。鈴木寛文部科学副大臣に市長らが誘致の意向を伝え、シンポジウムなどで発信し始めた。だが、地元医師会幹部は「現実的でない」と慎重で、今後議論を呼びそうだ。  「医科大の拡充などについて文科省の中で検討が始まった。候補地として成田もぜひ検討いただければ幸いだ」  10月17日、市役所で開かれたシンポジウム「国際都市成田の将来と新しい医科大学構想」で、医療を担当する関根賢次副市長はこう発言し、数日前に鈴木副大臣にその意向を伝えたことを明かした。  成田商工会議所の諸岡孝昭会頭も「商工業発展の立場から、医療ツーリズムや医科大の誘致には、もろ手をあげて賛成申し上げたい」と賛同。会場から意見を求められた小泉一成市長も「(医大が)あれば成田としてもクオリティー(質)が上がるなと思う」と前向きな姿勢を示した。  このシンポジウムは、政策シンクタンク「医療構想・千葉」(竜崇正代表)と市が共催した。文科省が医学部新設の是非を検討する会議を年内にも設置する方針を出したことを受け、竜代表は「千葉大だけでは千葉県の医療を支えられない。豊富な土地と資金力、国際的ブランド力がある成田に医大を誘致すべきだ」と力説した。会場は医大誘致に前向きな意見であふれた。  市内には、救命救急センターを備える成田赤十字病院がある。だが、医師不足に悩まされ、常勤医師が確保できずに呼吸器内科を2009年度から、同外科を今年4月から休診している。市は同病院の負担を減らすため、09年度は8500万円、10年度は1億7千万円の負担金を出し、夜間に初期救急医療に当たる医師の手当などにあてている。10月から内科の常勤医師が4人増えるなどの効果は出ているが、いまだ医師の負担は大きいという。  だが、地元からは慎重な意見も漏れ聞こえる。成田市医師団の真鍋溥団長は「住民にとってはありがたいことで、千葉県の医者を増やそうという発想はいいが、実際の可能性としては無理がある」。医大を造れば付属病院も同時に造ることになるが、研修医が自由に研修場所を選べる現在の制度下では、医師や看護師の確保が難しいという。成田市役所近くの富里市日吉台には徳洲会グループが病院(285床)を建設予定で、「成田地区で病院が足りないわけではない」とも言う。  シンポジウムを傍聴していた一部議員からも慎重な意見があがっている。共産・馬込勝未市議は「初めて聞いた。いざそうなれば地元負担の問題が出てくる」と話し、26日に開会する市議会12月定例会で質問する予定だ。成田赤十字病院は医大誘致構想について「今の時点では感想を述べる段階ではない」と推移を見守っている。』 2010年11月19日12時14分アサヒコム

栃木県に支援を要請している国際医療福祉大學に医学部を新設する場合、医学部定員80名でも最低200億円弱の建設・設備費用が必要と言われています。成田市は、土地の提供出来ても建設・設備費用の負担が出来るでしょうか。成田市と大學との公設民営大學を目指すと思いますが。一人の医師を養成するのに医学部を設立しても入学後10年は掛かります。医師不足はすぐに新設医学部を作っても解消するでしょうか。10年後の事を考えても目前の夜間救急医療に携わる医師の確保は間に合いません。成田市立の救命救急センターか、東京の既設私立大学医学部の協力で、公設民営化方式の総合病院や分院を成田市内の便利な場所にに誘致するほうが、早道では有りませんか。成田市市民病院を成田市に開院する方が現実的では有りませんか。成田市に医大を誘致しても今のような状況では、医師不足は解消せずに伝統と実績の無い新設医学部では、医療現場での経験の未熟な医師による質的低下で、なかなか高度な医療技術による治療は望めないと思います。簡単に患者の命を安心して預けられる医師を養成出来ると考えるのは間違いでは有りませんか。成田市の医療現場で働く医師や看護師の意見を声を反映して、市民サイドに立って医大誘致の問題を市民と共に考えるべきでは有りませんか。

    人気プログランキング
    http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436:aLHKF

    プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    石川製作所は北朝鮮砲撃事件で地政学的リスク関連株買い高まり続急伸

    2010年11月26日 14時22分55秒 | 社会・経済

      石川製作所 www.ishiss.co.jp/f_kaisya.htm<6208>6208の日足チャート は、寄り付きから買い気配値を切り上げ20円高の94円買い気配とストップ高ペースで続急伸し、13円高の87円となっている。  11月23日午後2時過ぎに北朝鮮が、韓国の北方限界線南側に位置する延坪島に砲撃し、韓国も応戦したことから地政学リスクが高まり、機雷などの防衛機器を生産する同社株に短期筋中心に関連株買いが集まっている。  同社株は、北朝鮮のミサイル発射、地下核実験など緊張が高まるたびに株価が動意付く地政学リスク関連のシンボル株であり、今年3月の韓国哨戒艦沈没事件では年初来高値126円まで買われ、9月の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件でも91円まで反発した。  業績そのものは超低空飛行を続け、今3月期業績は、8月、11月と2回も下方修正が続き、通期純利益は2000万円(前期は1億6800万円)と大きく減益転換する。  配当も連続無配で、株価が低位値ごろにあることが最大の株価材料となっている。11月の今期業績再減額も織り込み済みとして60円台で底固い動きを続けており、今後の朝鮮半島の緊張関係や日中間の尖閣諸島問題などの動向次第では、年初来高値を窺う展開も想定される。(情報提供:日本インタビュ新聞社=Media-IR)

    防衛機器を作っている会社なので脚光を浴びたのでしょうが。機雷を敷設したら掃海艇で除去しなければなりませんし 掃海艇は木造船で危険な任務になります。機雷敷設後の始末が大変です。機雷を敷設しないといけない状況を想定しますと朝鮮半島では、不幸な戦争状態に突入したことになった状況と思います。風が吹けば、桶屋が儲かると言う諺どおりでしょうか。北朝鮮のミサイル発射、地下核実験など緊張が高まるたびに株価が動意付く地政学リスク関連のシンボル株でも、今のミサイル時代の戦争でも湾岸戦争(わんがんせんそう, アラビア語: ??? ?????? ????????, ペルシア語: ??? ???? ?????, 英語: Gulf War)は、1990年8月2日イラククウェートに侵攻したのを機に、国際連合多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。イラクのクウェートへの侵攻から湾岸戦争の開始ととらえることもある。)後の1991年(平成3年)に海上自衛隊www.mod.go.jp/msdf)掃海部隊、ペルシャ湾掃海派遣部隊が派遣されたこと思い出しました。

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    自衛隊ペルシャ湾派遣

    練習艦隊等による遠洋航海以外の海外実任務で、日本海軍・海上自衛隊の艦隊がインド洋を渡るのは、第一次世界大戦地中海派遣、第二次世界大戦のインド洋作戦以来の出来事である。また、他国領海付近における掃海作業は、朝鮮戦争での海上保安庁特別掃海隊による活動1950年(昭和25年))以来のことである。

    <script type="text/javascript"></script>

    経緯

    1991年1月29日、自衛隊法第100条の5(国賓等の輸送)を根拠として、航空自衛隊輸送機による難民輸送が政令で認められた。

    3月2日の国際連合安全保障理事会決議686を、翌3日イラクは受諾し、また4月3日の安保理決議687を、同6日イラクはこれを受諾し、4月11日に停戦が発効した。

    停戦発効後、防衛庁長官海上幕僚長に対し「ペルシャ湾における機雷等の除去の準備に関する長官指示」を発出した。4月24日、長官は海上自衛隊に対し、「我が国船舶の航行の安全を確保するため、ペルシャ湾における機雷の除去及びその処理を行う。」ことを目的とする「ペルシャ湾における機雷の除去及びその処理の実施に関する海上自衛隊一般命令」(平成3年4月24日海甲般命第18号)を発令した。法的には、公海上の作業ということで、海上自衛隊の通常業務という解釈がされた形である。自衛艦隊司令官に直属する「ペルシャ湾掃海派遣部隊」が編成され、4月26日に出発した。

    掃海派遣部隊は、ペルシャ湾へ進出する途上で、スービックフィリピン)、シンガポール、ペナン(マレーシア)、コロンボスリランカ)、カラチ(パキスタン)ドバイ(アラブ首長国連邦)に寄港した。その際には、ペルシャ湾への早期到着を最優先して、各寄港地では補給・整備のみに限り、現地在外公館や所在海軍部隊指揮官への表敬訪問をする程度にとどまった(これらの行事は港に寄港する外国艦隊の最低限の礼儀である)。5月27日にドバイのアル・ラシット港に約7,000海里の航海を経て入港した。

    そして、6月5日から9月11日までの99日間にわたり、米国及び他の多国籍軍派遣部隊と協力して掃海作業を実施した。

    掃海派遣部隊編成

    補給艦「ときわ」(左の艦)
    • 指揮官 - 落合畯(たおさ)1等海佐第1掃海隊群司令
    • 司令部 - 幹部25(落合指揮官含む)、准尉2、23、合計50名。
    • 掃海母艦「はやせ」(旗艦) - 艦長は横山純雄2等海佐。幹部12、准尉1、曹士133、合計146名。
    • 第14掃海隊 - 隊司令は森田良行2等海佐
      • 掃海艇(はつしま型)「ひこしま」(61MSC) - 艇長は新野浩行1等海尉。幹部8、准尉1、曹士38、合計47名(第14掃海隊司令部含む)。
      • 掃海艇「ゆりしま」(61MSC) - 艇長は梶岡義則1等海尉。幹部5、曹士38、合計43名。
    • 第20掃海隊 - 隊司令は木津宗一3等海佐
      • 掃海艇「あわしま」(62MSC) - 艇長は桂真彦1等海尉。幹部8、准尉1、曹士38、合計47名(第20掃海隊司令部含む)。
      • 掃海艇「さくしま」(62MSC) - 艇長は田村博義3等海佐。幹部5、曹士38、合計43名。
    • 補給艦「ときわ」 - 艦長は両角良彦2等海佐。幹部13、准尉2、曹士120、合計135名。

    以上、幹部76、准尉7、曹士428、総員511名で編成されていた。また、これには医官3名が含まれ、隊員の健康管理に当たった。

    なお、派遣部隊指揮官の落合畯1等海佐は、沖縄戦で海軍部隊を指揮し、自決にあたって「沖縄県民かく戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らん事を」と打電した沖縄方面根拠地隊司令官の大田実海軍中将(戦死により一階級特進)の3男である。

    掃海作業

    ペルシャ湾の機雷敷設海域には、1991年2月28日の戦闘停止直後から、ベルギーサウジアラビアの4か国海軍の派遣部隊が掃海作業に従事していた。また、日本部隊が到着するまでには、の4か国も掃海部隊を派遣していた。日本部隊と各国派遣部隊との関係は、指揮命令ではなく、協同の関係とされた。 7月20日までにMDA-7海域で日本部隊は17個の機雷を処分する。その後、英・仏・独・伊・蘭・ベルギーの各部隊は、掃海終了宣言を発出して掃海作業を打ち切り帰国した。日・米・サウジアラビアの掃海部隊はその後もMDA-10及びクウェイト沖の航路等において、掃海作業を継続した。掃海派遣部隊は、この間、MDA-10において新たに計17個の機雷処分を行う。また、サウジアラビア政府の要請に基づき、独自でカフジ沖の油井に至る航路の安全確認を実施する。 爆破された計34個の機雷の処分方法としては、リモコン式処分具を使い、安全な遠隔操作により爆破されたものが5個、水中処分隊員が機雷に近づき、手作業で爆破準備したものが29個であった。

    掃海海域には、イランイラククウェート領海が含まれていたため、日本は自国の外交ルートを経由して交渉し、イランとの間では、7月20日にイラン軍の代表者を立ち会わせること等を条件として日本の掃海派遣部隊の領海立入りや掃海作業の実施について同意が成立した。イラクからは7月25日に、クウェートからは8月12日に、領海内での掃海作業を認める正式な回答がなされた。

    また、イラン及びクウェートの要請により、イランのバンダル・アッバス港(8月22日から同月24日)及びクウェートのアル・シュワイク港(9月4日から同月6日)に寄港し、友好親善を図った。

    部隊派遣後

    湾岸戦争に際して日本は、130億ドルにも上る資金協力を行った。それにもかかわらず、クウェートが湾岸戦争終結直後に、ワシントン・ポスト紙の全面を使って謝意を表した広告には、クウェート解放に貢献した全ての国の国旗が掲載されていたが、金銭的貢献しか行わなかった日本は除かれていた。しかしながら、掃海部隊派遣後は、クウェートで日本の国旗が新たに他国に加わって印刷された記念切手が発行されるなど、危険を伴った人的貢献に接して、外国における評価が一変する。

    また、部隊や隊員に対して次の通りの表彰が行われた。

    • 部隊に対して - 特別賞状(職務の遂行に当たり、特段の推奨に値する功績があった部隊)。自衛隊創隊以来初となる。
    • 掃海派遣部隊指揮官 - 第1級賞詞
    • 各級指揮官 - 第2級賞詞
    • その他の派遣隊員総員 - 第3級から第5級までの賞詞
    • 派遣部隊隊員総員 - 国際貢献記念章の防衛記念章

    また、この掃海作業により海自の掃海・掃討能力は技量についてはともかく、装備については諸外国に(特に掃討分野で)大きく劣ることが明らかになった。その為に諸外国の掃海・掃討装備を導入したすがしま型掃海艇が建造されることになった。

    朝鮮戦争
    5.日本への影響
    5.1.日本特別掃海隊
    朝鮮戦争には、第二次世界大戦の終戦以降日本を占領下に置いていた連合国軍、特に国連軍として朝鮮戦争に参戦していたアメリカ軍やイギリス軍の指示により、日本の海上保安庁掃海部隊からなる「特別掃海隊」も派遣され、死傷者を出しながら国連軍の作戦遂行に貢献した。

    ■ 派遣の経緯

    開戦直後から、北朝鮮軍は機雷戦活動を開始しており、これを認めたアメリカ海軍第7艦隊司令官は9月11日に機雷対処を命じた。ところが、国連軍編成後も国連軍掃海部隊は極僅かであった。
    元山上陸作戦を決定した国連軍は、日本の海上保安庁の掃海部隊の派遣を求めることを決定する。10月6日アメリカ極東海軍司令官から山崎猛運輸大臣に対し、日本の掃海艇使用につ
    コメント
    • X
    • Facebookでシェアする
    • はてなブックマークに追加する
    • LINEでシェアする

    菅首相、中国の影響力行使に期待=岡崎氏「登庁すればよかった」―参院予算委

    2010年11月26日 12時51分47秒 | 国際・政治
     『参院予算委員会は25日午後、菅直人首相と関係閣僚が出席し、北朝鮮による韓国砲撃に関する集中審議を行った。首相は「韓国哨戒艦(沈没)のときは北朝鮮は(事実を)認めなかったが、今回は認めている。北朝鮮に大きな影響力を持っている中国は国際社会のルールにのっとって、北に対する影響力をきちんと行使してほしい」と述べ、中国が北朝鮮に自制を促すことへの強い期待感を示した。  仙谷由人官房長官は砲撃に対し「満腔(まんこう)の怒りを持っている」と表明。北朝鮮への制裁については「現在取っている措置が実効的かどうか厳密に検証しなければならない」と述べるにとどめた。前原誠司外相は「韓国がどのような思いを持って対応しようとしているかを尊重しながら、日米韓で連携して対応していきたい。ロシアともしっかり協議しなければならない」と語った。 また、首相は朝鮮学校の高校授業料無償化手続きの再開の見通しについて「推移を見て判断する」と述べた。自民党の山本一太、みんなの党の小熊慎司両氏らへの答弁。  一方、野党側は首相が砲撃があった当日に北朝鮮を非難しなかったことや安全保障会議が開かれなかったことなどを取り上げ、政府の危機管理対応を追及。首相は李明博韓国大統領から24日の電話会談で「日本の迅速で力強い対応に感謝する」と伝えられたとし、「きちんとした対応ができている一つの証拠だ」と反論した。  警察庁に砲撃当日に登庁しなかった岡崎トミ子国家公安委員長は「警察庁に出向いてきちんと対応できればよかった」と、自身の対応に問題があったことを認めた。』2010年11月25日(木)18:03  [時事通信社]
    韓国哨戒艦(沈没)のときは北朝鮮は(事実を)認めなかったが、今回は認めていると言う発言は北朝鮮が事実として認めた軍事行動は、北朝鮮の軍事行動でそれ以外は北朝鮮の軍事行動と菅首相は認めないのであろうか。『ダイヤモンド・オンライン第109回 2010.11.25緊迫の朝鮮半島、ビル・エモット特別インタビュー中国にも止められない北朝鮮の暴走。日米韓が無理押しすれば軍事衝突エスカレートも」によると「 韓国側に軍人だけでなく民間人の死傷者も多数出た北朝鮮による延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件は、欧米でも連日トップニュースとして報じられている。日本では、軍事衝突が一気にエスカレートする可能性は低いとの見方が大勢だが、果たしてそうなのか。世界の政財界のリーダーたちが愛読するイギリスの高級紙「The Economist」の編集長時代に北朝鮮問題を頻繁に取り上げた国際ジャーナリストのビル・エモット氏は、朝鮮半島の危機的状況は継続しており、日米中韓の関係各国が互いの立ち位置と役割を取り間違えると、文字通り報復が報復を呼ぶ不測の事態に陥る可能性も十分にあり得ると警鐘を鳴らす。
    韓国側に軍人だけでなく民間人の死傷者も多数出た北朝鮮による延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件は、欧米でも連日トップニュースとして報じられている。日本では、軍事衝突が一気にエスカレートする可能性は低いとの見方が大勢だが、
    (聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集長、麻生祐司)――北朝鮮の砲撃事件をどう見たか。1953年の朝鮮戦争休戦後初めて陸上の非軍事施設をターゲットに行った攻撃という意味で、ここ数十年の間に繰り返されてきた他の軍事衝突とは同列に語ることのできない、文字通り南北対立の半世紀の歴史の中で最も深刻な出来事であり、これによって、朝鮮半島情勢は極めて危険なステージに突入したと言ってよいと思う。 1983年に北朝鮮の複数工作員の手によってビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現・首都ヤンゴン)で起きた爆破テロ事件も、多くの韓国政府高官や閣僚が命を落とすという非常に凄惨な出来事だったが、あの当時は北朝鮮の核武装問題は深刻ではなかった。だが今は違う。北朝鮮の核武装増強の可能性もある中で、民間人も攻撃のターゲットになるという最悪の事態が起きた。』ちなみに、そうした動きにまで出るとしたら、北朝鮮の新たな挑発行為を牽制するというよりも、中国への圧力を強化するという意味のほうが大きい。黄海での合同軍事演習は、中国の反発を招くのは必定だ。 北朝鮮の態度を改めさせることができる国は、中国以外にはない。北朝鮮問題の解決の鍵を握っているのは、とにかく中国だ。 しかし、その中国も、北朝鮮に圧力をかけて、現行システムをうかつに潰せば、北朝鮮が国家的な大混乱に陥るなかで難民が自国に殺到することを知っている。それだけは避けたい。 だから、東アジアの平和と安定を望むという言葉を繰り返すだけで、北朝鮮の政治体制に大きな変化を迫る積極的な行動には出られないだろう。ここに、北朝鮮がずっと変わらないでいられる大きな理由がある。 とはいえ、このタイミングで、いずれかの国が無理押しして、北朝鮮を変えようとしたときに、何が起きるのかは誰にも想像がつかない。そうした関係各国の恐怖感のなかで、北朝鮮はいわば奔放に振舞っている。なにより心配なのは、最近、北朝鮮の軍隊が指導部の下できちんと制御されていない感じがすることだ。朝鮮半島の緊張が早晩和らぐと確信を持って説明できる要素は現在まったく見つからない。
    ――北朝鮮は今回の砲撃でいかなる政治目的を達成したかったのだろうか。 金正日総書記が深刻な健康不安を抱え、金正恩氏への権力移譲が急がれる中で、指導部の“タフネス”を示すためだとか、朝鮮半島西側の黄海上での韓国軍による軍事演習への対抗措置だったとか、あるいは制裁の緩和や新たな援助を引き出すためといったもっともらしい説明が各メディアで報じられているが、はっきり言って、どれも説得力を欠く。 それだけの理由で、韓国側の本気の反撃を招く覚悟を持って、民間人の住む島に本当に砲弾の雨を降らすだろうか。北朝鮮も、今回の延坪島(ヨンピョンド)砲撃で一線を越えたことは認識しているはずだ。 推察するに、最近新たに確認された北朝鮮のウラン濃縮施設にからんで、ピョンヤンとワシントンとの間に水面下で抜き差しならぬやりとりがあったのではないか。 今回の攻撃が意図せざる突発的なものだったとする見方も少なからずあるようだが、私はそれはないと思う。新たなウラン濃縮施設が確認された時期から日が近すぎる。それに、北朝鮮軍による場当たり的な博打だったとしたら、そちらのほうが深刻だ。指導部が軍を制御できていないことになるからだ。――米国は今後、どう出ると思うか。 当面は、北朝鮮そしてその後ろ盾である中国の出方を探りながら、常套手段に打って出るはずだ。つまり、韓国と日本と連携して、国連安全保障理事会で非難決議や追加制裁を求めていくだろう。ただ、中国の抵抗は必至だ。 そこで今回はさらに一歩踏み出して、韓国における軍事的プレゼンスの強化に動くかもしれない。すでに米韓両国は、28日から黄海上で米空母を参加させた合同軍事演習を実施すると発表している。米韓は在韓米軍の段階的縮小で合意しており、大幅な改編がすでに進行中だが、今回の北朝鮮の攻撃をきっかけに、そのペースを遅くする可能性もあるだろう。
    ――日本はどうすればよい? 納得がいかない人もいるだろうが、とにかくオバマ政権の外交の支持者でい続けるしかない。また、それ以前の問題として、普天間基地問題を通じて米国との間に生まれた溝を埋める努力をもっとしなければならない。 非公式な外交ルートをフルに活用して、北朝鮮問題の事態打開へ中国に直接働きかけることは当然やるべきことだが、尖閣諸島問題で挑発的な行動に出た中国がふりあげたこぶしを突然下ろし、日本の意見や要望に真摯に耳を傾け始めるとはとても思えない。 日本が円滑かつ効果的なアジア外交を進めるためには、強固な日米関係がなにより前提として不可欠だ。鳩山前政権下で見失われたその厳しい現実を改めて受け入れ、日本は行動しなければならない。一部省略』と指摘しているように朝鮮戦争以後韓国軍の軍人だけでなく民間人の死傷者も多数出た北朝鮮による延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件の重大さを認識し、今回の沖縄県沖尖閣諸島中国漁船 体当たり事件における日本政府の柳腰外交の対応の悪さも考えず中国が北朝鮮に自制を促すことへの強い期待感を示すのは無理と言わざるを得ないのでは有りませんか。尖閣諸島問題で挑発的な行動に出た中国がふりあげたこぶしに対して、迅速に正しく対処しなかったので、中国任せには到底行かないのでは有りませんか。またまた人任せの政治スタンスでは有りませんか。政府の危機管理対応は、「、首相は李明博韓国大統領から24日の電話会談で「日本の迅速で力強い対応に感謝する」と伝えられたとし、「きちんとした対応ができている一つの証拠だ」と反論した。」としているが、。『「北朝鮮が韓国の島に砲撃を加え、韓国軍も応戦したという報道があり、私にも3時半ごろに秘書官を通して連絡がありました」 信じがたいことに、これは内閣総理大臣の言葉である。首相がどうやって第一報を知ったのかという機密事項について、菅首相は恥も外聞もなくこう言い放ったのだ。 いまや日本は無政府状態になった。首相が一般国民と同じレベルで情報を得て、それを公言してしまう国なのである。 この発言の瞬間、菅首相は自ら危機管理能力の欠如とその意識の無いことを公然と宣言したのも同じである。DIAMOND online 【第151回】 2010年11月25日 週刊・上杉隆『首相が北朝鮮砲撃を報道で知ったと語る、もはや“無政府状態”の危機管理態勢を憂う 』と言う事実です。「警察庁に砲撃当日に登庁しなかった岡崎トミ子国家公安委員長は「警察庁に出向いてきちんと対応できればよかった」と、自身の対応に問題があったことを認めた。」二度有ることは三度有る。岡崎トミ子国家公安委員長は通常国会の会期中の平成15年2月、ソウルの在韓日本大使館前で韓国の慰安婦問題支援団体主催の反日デモに参加したり、今回の砲撃当日に警視庁登庁しなかったのは国家公安委員長として国務大臣として責任問題では有りませんか。国の安全と治安を守る責任感がないのでは有りませんか。正当な理由が有れば別ですが。警察庁に出向いてきちんと対応できればよかったと他人事のように発言する岡崎トミ子国家公安委員長の発言は、責任は総て官僚任せの体質を露呈した国民の安全と治安をとても任せられない国家危機感無き発想としか思えません。菅内閣の危機管理体制が首相の言う通り「きちんとした対応ができている一つの証拠だ」とは国民は思っていません。中国漁船問題で、国家危機管理の初動を誤り、黄海での米韓合同軍事演習前を狙った韓国の延坪島、ヨンピョンドへの北朝鮮から砲撃を民主党幹部は神風の恵みと発言し、日韓関係を阻害し、朝鮮戦争が又起こる危機的状況と危険性を十分認識していない菅政権維持の私利私欲しか考えていない平和ボケした極楽トンボの発想です。仏の顔も三度までと言います。三度目に今度何かが起こったら本当の神風で、危機管理体制の不備が今度は国民に露見して、国民不在の菅政権は崩壊するのでは有りませんか。
    DIAMOND online 【第151回】 2010年11月25日  週刊・上杉隆
    首相が北朝鮮砲撃を報道で知ったと語る、
    もはや“無政府状態”の危機管理態勢を憂う!

     朝鮮半島西岸の延坪島で発生した韓国と北朝鮮との砲撃戦は多くの死傷者を出す事態になった。 朝鮮戦争停戦後、民家への攻撃、ならびに民間人の犠牲者(きょう判明)を出す重大事案の発生は初めてである。 韓国の李明博大統領が即座に警戒レベルを引き上げ、北朝鮮に対して強い非難声明を出したのは当然ではあるが、それにもまして今回は、世界からの反応が早かった。 とりわけ、米国やロシアなど6者協議当事国は即座に反応し、北朝鮮への抗議の声をあげている。とくに、深夜3時にもかかわらず補佐官から報告を受けたオバマ大統領が30分以内に声明を発表した米国の動きは特筆に値する。その危機管理能力と意識の高さを改めて世界に示した。

    信じがたい菅首相の
    第一報受容経路発言

     一方で日本政府の反応はどうだったのだろうか。「北朝鮮が韓国の島に砲撃を加え、韓国軍も応戦したという報道があり、私にも3時半ごろに秘書官を通して連絡がありました」 信じがたいことに、これは内閣総理大臣の言葉である。首相がどうやって第一報を知ったのかという機密事項について、菅首相は恥も外聞もなくこう言い放ったのだ。 いまや日本は無政府状態になった。首相が一般国民と同じレベルで情報を得て、それを公言してしまう国なのである。 この発言の瞬間、菅首相は自ら危機管理能力の欠如とその意識の無いことを公然と宣言したのも同じである。 また、同じく日本政府には情報調査能力が欠如していることを内外に示し、外交チャンネル、とりわけ韓国とのそれがまったく機能していないことも暴露してしまった。 さらに、菅官邸には外務省からも防衛省からも情報があがらず、記者クラブの記者たちからもそっと耳打ちされることがないことも証明してしまったのだ。 大いなる危惧を覚える。これこそ国家の最大の危機ではないだろうか。

      人気プログランキング
      http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436:aLHKF

      プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

                          

      コメント
      • X
      • Facebookでシェアする
      • はてなブックマークに追加する
      • LINEでシェアする

      アジア大会 福島が二百V、短距離2冠達成…日本女子初

      2010年11月26日 10時03分36秒 | スポーツ
      Photo
      女子二百メートル決勝で優勝した福島=AP(毎日新聞)

      アジア大会 福島が二百V、短距離2冠達成…日本女子初

       『【広州・井沢真】広州アジア大会は第14日の25日、当地の奥体スタジアムで陸上女子二百メートル決勝が行われ、日本記録保持者の福島千里(22)=北海道ハイテクノロジー専門学校www.hht.ac.jp/campuslife/club.html) 陸上競技部(北海道ハイテクAC=が、23秒62で初優勝し、22日の百メートルと合わせて、日本女子初の百、二百メートルの短距離2冠を達成した。海外勢を含めると3人目。二百メートルの日本女子の優勝は、82年ニューデリー大会で二百、四百メートルの2冠に輝いた磯崎公美以来6人目。福島は22日に日本女子で44年ぶりに百メートルを制していた。(毎日新聞)』

      広州アジア大会は第14日の25日、当地の奥体スタジアムで陸上女子二百メートル決勝が行われ、日本記録保持者の福島千里さん日本女子初の百、二百メートルの短距離2冠を達成しました。日本男子サッカーも頑張りましたが、福島千里選手も優勝し良かったですね。日本女子選手として44年ぶりに百メートルを制したのはお見事です。寅は、千里を走るの諺で、お名前どおり奥体スタジアムを走り抜きましたね。福島千里さんの笑顔のVサイン本当に良かったですね。

      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
      福島千里
      選手情報
      フルネーム:福島千里
      国籍:日本
      種目:短距離走
      所属:北海道ハイテクAC
      生年月日:1988年6月27日(22歳)
      生誕地:北海道中川郡幕別町
      居住地:北海道札幌市
      身長:165cm
      体重:57kg
      自己ベスト
      100m:11秒21 (2010年)
      200m:22秒89 (2010年)

      福島 千里(ふくしま ちさと、1988年6月27日 - )は、日本の陸上競技選手で、専門は短距離北京オリンピック日本代表。女子100m200mの日本記録保持者。

      人物・経歴

      幕別町立糠内中学校を経て北海道帯広南商業高等学校を卒業後、2007年北海道ハイテクノロジー専門学校(情報システム学科)に進学。同校の陸上競技部(北海道ハイテクAC)に籍を置き中村宏之コーチの元で選手活動を続けている。2009年に卒業後は、そのまま職員となった。

      細身でピッチ型の走りをする選手であり、外国の選手並み、あるいはそれ以上のスタートダッシュが大きな武器である。幼いころにスピードスケートをやっていて、その経験がスタートダッシュ時のバランスや強靭な脚力に影響を与えているという[1][2]。糠内中学校時代からジュニアオリンピックなど全国大会に出場。中学3年生だった2003年から高校3年生の2006年までの4年間、全中インターハイにおいて女子100mでいずれも同い年の高橋萌木子に敗北。自身も全国大会で実績はあげていたものの、高橋や中村宝子の影に隠れる形となっていた。

      2008年、好タイムをマークし始めて頭角を現す。

      2009年、他の選手からマークされる中で記録を塗り替えている。

      • 5月3日静岡国際陸上競技大会女子200mで23秒14の日本新記録(当時)で優勝。
      • 6月7日、鳥取県立布勢総合運動公園で地元の大会と同時開催されたスプリント挑戦記録会の女子100mでは、第一レースで11秒28、第二レースで11秒24と1日で日本記録を2回連続で更新。同時に世界選手権の参加標準記録A(11秒30)を突破。
      • 6月26日広島広域公園陸上競技場で行われた日本選手権女子200mで、23秒00と自身の日本記録を0秒14短縮して初優勝。これは世界選手権の参加標準記録Aと同タイムでもあった(同タイムなら突破として扱われる)。しかし28日の100mでは準決勝後に右鼠蹊部の張りを訴え、決勝を棄権。
      • 8月16日ベルリンで行われた世界選手権女子100m1次予選で11秒52で1次予選突破。2次予選は11秒43と記録を伸ばしたが、準決勝進出はならなかった。世界選手権での2次予選進出は日本女子100m史上初、オリンピックを含めても1932年のロサンゼルスオリンピックに出場した渡辺すみ子以来77年ぶりのこと[4]
      • 11月11日アジア選手権女子100mにおいて、11秒27で優勝。

      2010年は、シーズン開始と共に記録を伸ばしている。

      • 4月29日、広島広域公園陸上競技場での織田記念陸上女子100mで自らが持つ11秒24を0秒03更新する11秒21の日本新記録で優勝[5]
      • 5月3日、静岡スタジアムでの静岡国際陸上競技大会女子200mで、前年(2009年)6月の日本選手権における自身の日本記録を0秒11更新し、日本女子選手初の22秒台となる22秒89(向かい風0.2m/s)をマークして優勝[6]
      • 5月8日、大阪市・長居陸上競技場で行われたIAAFグランプリ大阪大会では、女子100mで自己記録3番目と同タイムの11秒27で2位に入賞(優勝は11秒02でジャマイカベロニカ・キャンベル=ブラウン)。
      • 11月22日、広州アジア競技大会第11日目、陸上女子100mで11秒33を記録し、グゼル・フビエワを僅かの差で差し切り、見事金メダルを獲得した[7]。この種目での日本選手の優勝は1966年バンコク大会の佐藤美保以来44年ぶりとなった。

      その他

      • 同じ女子短距離の北風沙織は大学を卒業後、職員として北海道ハイテクノロジー専門学校に就職。当時、福島はまだ生徒であったため、学校では職員と生徒、クラブではチームメイトという関係であった。その後、福島が卒業後に同校に就職したことにより職場でも同僚となった。
      • サインが非常に特徴的である(ランニングしている棒人間のイラストで、「ふ」で上半身、「く」と「し」で足、「ま」で五線譜音符を表している)。サインには何かしらのイラストが入ることがある[8]
      • 高校時代から鎬を削る高橋萌木子とは「チイ」「モモコ」と呼び合う友人関係である。
      • 北京オリンピック後の母校の慰労イベントにて、ボウリングのピンのかぶり物(顔の部分が空いた状態)をして写真に収まる。主役にもかかわらず、目立たないようにと後方に位置取るが、格好が格好だけに一番目立ってしまう。
      • 2009年ベルリン世界陸上に向けて上京するも、パスポートを忘れてしまい再度北海道に取りに戻った。その一部始終を、ハイテクACのブログにてネタにされている。
      • 現在、恵庭市を拠点に活動。一人暮らしをしており、専ら管理栄養士が作ったメニュー
      • で自炊。太りにくい体質である為、1日3000カロリー以上を摂取している。
      •               

          人気プログランキング
          http://parts.blog.with2.net/bp.php?id=627436:aLHKF

          プログランキングドツトネット http://blogranking.net/blogs/26928

               

        コメント
        • X
        • Facebookでシェアする
        • はてなブックマークに追加する
        • LINEでシェアする