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教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

「犯罪空間」と化した全柔連の上村春樹会長ら執行部が、子どもたちに「悪い教育効果」を残してやっと総辞職

2013年08月17日 16時16分00秒 | 国際・政治

2013年08月17日 02時12分43秒 | 政治
◆やっと、「犯罪空間」と化している全日本柔道連盟(全柔連)が「終戦記念日」の前日である8月14日、東京都文京区の講道館で臨時理事会を開き、講道館館長を兼務している上村春樹会長ら執行部を含む理事23人と監事3人が、21日に総辞職することを決めた。日本オリンピック委員会に女子15選手が2012年12月4日、「暴力指導」を告発する文書を提出して、問題が発覚して、ここまでくるのに8か月以上の時間を要した。
 この間の上村春樹会長ら執行部の見苦しい所業は、全国の多くの子どもたちが練習に加わっている柔道界ばかりでなく、スポーツ界全体に「悪い教育効果」を与えてしまった。それは、「悪いことをしても、責任逃れできる」という考え方を植え付けたからである。その責任は、極めて重い。
 全柔連は、あまりにも多くの不祥事が続いた。女性選手に対する「人権侵害事件」は、絶対に許してはならない事件であった。これに対して、上村春樹会長ら執行部は、この事件をもみ消そうとした。そればかりか、国から支給される指導者への助成金の一部を強化委員会が徴収して、理事らの「飲み食い」に使い、事実上の「横領事件」を犯していながら、「犯罪意識」がまったく欠如していた。さらに高齢な理事が女性への猥褻な行為をしていた事件まで発覚した。
◆しかし、上村春樹会長ら執行部は、まったくよそごとで無責任だった。この無責任体制を象徴していたのは、上村春樹会長ら執行部であった。だれ一人として責任を取ることもなく、「改革する」と口先だけは立派なことを言っても、改革に熱意をいつまでも示さなかった。
 これは、大東亜戦争を指導した戦争責任者が、敗戦を認めたがらず、なかなか戦争終結を決断できなかったのと、よく似ている。原爆を広島と長崎に落とされて、ようやく連合国が発した「ポツダム宣言」を受け入れた。そのうえ、戦争指導者の大半が、戦争責任を逃れようとした。
 最後通牒を発したのは、7月30日に開かれた2度目の理事会で、新理事として加わった橋本聖子・日本スケート連盟会長(参院議員)だったという。上村春樹会長ら執行部全員が、理事のポストにしがみつこうと沈黙を守っていたなかで「すべての理事が辞職されてはいかがですか」と発言、政府の意向をチラつかせたのである。7月23日に、内閣府が上村春樹会長に事実上の辞任勧告を行っていたからでもあった。ここにきて、全理事が「もはやこれまで」と観念せざるを得なくなったのだ。
 それでも、上村春樹会長は、会長職、あるいは理事のポストに見苦しくも恋々としていた。上村春樹会長は、日本人唯一のIJF理事を務めている。8月9日夜、国際柔道連盟(IJF)本部があるブダペストに飛び、盟友のビゼール会長に会い、「慰留」の言葉をもらって12日帰国していた。しかし、政府の意向には勝てなかったらしい。
◆考えてみるまでもなく、これらの事件が立て続けに起きたのは、上村春樹会長をはじめ全理事が、いわば「犯罪グループ」の仲間だったからである。一種の「共謀共同正犯」だったと言っても過言ではない。「同じ穴のムジナ」だったので、だれに訴えても、告発しても、暖簾に腕押しで、まともに受け止めるはずはなく、それどころか、却ってみんなで握り潰したり、隠蔽したりしてきた。
 最悪だったのは、全柔連=講道館が、むかしから全国の警察組織と一体になってきた組織であるということであった。捕まえる者と捕まえられる者とが、「一家」を形成しているので、事件を捜査することもなく、いわんや検察庁に送検することもなく、起訴されることもない。こうなると、警察組織も同罪ということになる。
【参考引用】読売新聞YOMIURI ONLINEが8月14日午後9時47分、「全柔連理事23人ら21日総辞職…新体制発足へ」という見出しをつけて、以下のように配信した。
 「全日本柔道連盟(全柔連)は14日、東京都文京区の講道館で臨時理事会を開き、上村春樹会長(62)ら執行部を含む理事23人と監事3人が、21日に総辞職することを決めた。新日鉄住金の宗岡正二・会長兼最高経営責任者(CEO)(67)と、元大阪府警本部長の近石康宏・トヨタ自動車顧問(64)を新理事とする人事案も承認し、21日に開催される臨時評議員会に推薦する。その後の新理事会を経て、宗岡会長、近石専務理事による新体制が正式に発足する。外部理事の橋本聖子氏ら6月に就任した6人は、続投する。理事会後、記者会見した上村会長は『改革改善に取り組んできたが、スピード感がなかったのが一番だと思う。私の判断が甘かった』と話した。また報道陣に囲まれた山下泰裕理事は『極めて残念。自分がいかに無力だったか、ということを感じている』と語った」

※Yahoo!ニュース個人


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本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相がアジア諸国に示した「未来志向」は正解、中国、韓国の内乱、戦乱に備え、日本人に帰国勧告を

◆〔特別情報①〕
 安倍晋三首相が、靖国神社に公式参拝しなかったのは、残念至極であるけれど、政府主催の全国戦没者追悼式で「アジア諸国に対する加害者責任」に触れなかったのは、当然至極であった。戦後68年も経て、いつまでも「謝罪」し続けるのは、異常だ。欧米列強の帝国主義からアジアを解放する「聖戦」であった側面を全面否定すると、欧米列強の侵略主義を認めることになるからだ。「未来志向」で前進しようとする安倍晋三首相の姿勢の方が大正解だった。いつまでも過去にどっぷり浸かっているよりも、ごく近い将来起こり得る危機に対して備えを万全にして必要がある。それは、中国の崩壊、朝鮮半島統一・韓国の消滅の大混乱時、日本人をいかに救出するかということだ。中国では、「高官の失踪多発」といいう末期症状が顕著になっているというから、焦眉の急である。
引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/
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イスラエル高官の広島・長崎原爆投下容認発言を見逃す日本 new!!

2013年08月17日 16時04分55秒 | 国際・政治
新刊発売のお知らせ
2013年1月19日発売KKベストセラーズから、
田母神元航空幕僚長との共著を発売します。

new release

Naoto Amaki

天木直人
天木 直人

イスラエルの政府高官が原爆投下を当然の結果だとネット上で発言していたという。

 きょう8月17日の各紙が一斉に書いている。

 報じられたその発言の内容は驚くべきだ。

 「(広島・長崎への原獏投下は)日本の侵略の当然の結果だ。(平和祈念式典は)独り善がりで、うんざりしている」

 「日本が追悼すべきなのは、中国や韓国の侵略犠牲者だ」

 日本国民の中にもこのような考えを持っている者がいるかもしれな
い。

 個人が心の中でどう思おうと自由だ。

 しかしイスラエルの現職の政府高官の発言である。

 これが一大外交問題にならないはずはない。

 しかし、日本政府の対応も、日本のメディアの取り上げ方も、そして原爆に反対する日本国民の反応も小さい。

 この事は、麻生副総理のワイマール憲法発言の時の反応と対照的だ。

 麻生発言が批判さるべき本当の理由は、憲法9条改憲を国民が気づかない形でこっそり行なえと言った事だ。

 その例として民主的なワイマール憲法がヒトラーによって国民が気づかないうちに変えられていたという事を言おうとした。

 その比喩は浅薄で無知をさらけ出したが、ナチを擁護したものでない事は誰も目にも明らかだ。

 それにも関わらず、ユダヤの広報ロビー機関は麻生副総理発言をナチ擁護発言だと決め付けて世界中に喧伝し、国内メディアも騒いだ。

 野党はこぞって安倍・麻生政権批判を行い、政局にしようとした。

 イスラエル高官の原爆投下容認発言との対照的な反応の違いをどう考えればいいのか。

 その答えは人によって様々だろう。

 しかし少なくともはっきり言える事がある。

 政府もメディアも国民も、このイスラエル高官の暴言に対し、イスラエル政府にもっと毅然とした態度で強く抗議すべきであるということだ。

 世界に向けてこのイスラエル高官の発言を日本の総意は許さないという意思表示を行なうべきであるということである。

 それが出来ないようでは、「唯一の被爆国として原獏投下は許さない」と繰り返す日本の主張は建前に過ぎないということになる。

 二度と原爆投下は許さない、という日本の立場もまた、政治によって都合よく使い分けられているということである。

 そんなことでは日本の原爆反対の訴えは世界には届かない(了)

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    1942年3月、駆逐艦「雷」艦長時、工藤俊作海軍少佐スラバヤ沖海戦で撃沈された英国艦船の漂流乗組員4

    2013年08月17日 11時36分47秒 | ニュース

    最近中国や韓国から日本が悪者扱いされています。日本の旧軍人を揶揄し批判されていますが、シーマンシップ、海軍精神を戦時中に尊重し、スラバヤ沖で撃沈された英国海軍の巡洋艦「エクゼター」、駆逐艦「エンカウンター」の乗組員の二日に渡って漂流を続けていた漂流者全員422名を困難な状況中で救助した旧日本帝国海軍の工藤俊作駆逐艦雷艦長の逸話です。日本の今の若い人達も日本人として自信と誇りを失わず。武士道精神と人道主義を実践された旧帝国海軍軍人がおられたことを忘れないで欲しいと思います。イギリス海軍やアメリカ海軍には、海軍精神は有っても伝統と歴史の浅い中国海軍には海軍精神は有るのかと最近疑問を呈します。駆逐艦雷艦長工藤俊作海軍中佐の人事管理は、最近起業経営者のモラルが問題になっている今日、社員への人事管理の良き手本になると思います。

    日本軍との闘いで感動した元イギリス高官が、自衛艦を表敬訪問 ...

    日本軍との闘いで感動した元イギリス高官が、自衛艦を表敬訪問 ...

    日本軍との闘いで感動した元イギリス高官が自衛艦を表敬訪問。 戦闘中の相手にも 人道を重んじてた日本 ...

    再生時間:10:06

    投稿日:2012年6月12日

    日本軍との闘いで感動した元イギリス高官が、自衛艦を表敬訪問・・. by SOOMOOAICHI21 959,580 views. 日本軍との闘いで感動した元イギリス高官が自衛 艦を表敬訪問。 戦闘中の相手にも人道を重んじてた日本軍に、連合軍も感激していた 逸話は次々と ...

    出典

    www.bushido-seishin.com/

    ※このブログの内容と資料は、惠隆之介氏の御許可と御高配により、転載させて頂きました。

    有難うございました。ブログから御礼を申し上げます。

    敵兵を救助せよ!

    ■ 2009年11月8日「工藤俊作艦長」道徳授業普及推進会発足記念講演会 開催 ■


    恵です、日頃大変お世話になっております。

    民主党政権誕生に伴い、また日教組が活動を始めました。
    道徳副教材「心のノート」も廃止される公算が大きくなってきました。
    ここで挙手傍観するわけには行きません。

    かねて皆様にご支援を乞うておりました、
    中学校道徳副読本用「『海の武士道』DVDブック」が扶桑社から来月発売になります。
    添付DVD(放送時間21分)が圧巻です。

    2年前に放映された「アンビリバボー『ザ・ラスト・サムライ』」に、
    フォール卿が工藤艦長の霊前に献花する動画が合成されております。
    都内数カ所で試写会をしましたが、目頭を押さえる方や、
    映像終了後もハンカチをお顔から離さない方がおられたりかなりのインパクトがあります。
    お子さんの手を引いて来られた方が親子共々感動される光景が頻繁に見受けられます。

    当初は映像使用料が莫大に高く、実現不可能と諦めていたのですが、
    フジテレビの日枝会長、扶桑社の久保田新社長がこの話しに感動され、
    また映像製作会社イーストのスタッフ達が手弁当で作業して下さいました。
    加えて添付解説書には、鈴木貫太郎大将、佐久間艇長のエピソードも挿入いたしました。

    日本は未だ棄てたものでは有りません、商業主義にのみ走るマスコミもおりますが、
    未だこういう大人もおられるのです。
    日枝会長は、昨年の顕彰式典もテレビ局を挙げて全面支援され、
    またご自身も式典に参列されて、最前列で国歌を高らかに歌っておられました。

    つきましては、来る11月8日、
    「工藤俊作艦長」道徳授業普及推進会発足記念講演会、
    「海の武士道 DVD BOOK」発表会が行われます。(発起人代表渡部昇一先生)

    是非、一人でも多く、ご参加下さいますよう伏して御願い申し上げます。



    敵兵を救助せよ!

    お申し込みは e-mail または FAX にて
    下記の項目をご記入の上、お申し込み下さい。

    e-mail :: kouenkai@dotoku.info

    FAX :: 03-5770-7883

    「工藤俊作艦長」道徳授業普及推進会 事務局 宛

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
    工藤俊作
    1901年1月7日 ? 1979年1月12日
    Shunsaku Kudo.jpg
    生誕山形県東置賜郡屋代村(現高畠町
    軍歴1923年 - 1945年
    最終階級海軍中佐

    工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年明治34年)1月7日 ? 1979年昭和54年)1月12日)は、日本海軍軍人海軍中佐1942年3月、駆逐艦「」艦長時、スラバヤ沖海戦で撃沈された英国艦船の漂流乗組員422名の救助を命じ実行させた人物として有名である。

    経歴

    山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)で、農家の工藤七郎兵衛、きんの次男として生まれる。山形県立米沢中学校を経て、1920年海軍兵学校に入学(第51期)。同期には大井篤実松譲豊田隈雄小園安名、世界最大の潜水艦の伊号第四〇一潜水艦に乗り込み、第一潜水司令を務めた有泉龍之介(終戦後自決)などがいる。八八艦隊構想のため、海軍兵学校は第50期から第52期までは入学定員が300名に拡大されていた。1923年、海軍兵学校を卒業。その後オーストラリアニュージーランドなどの南洋方面遠洋航海に出発するが、その練習艦のうちの一つである「磐手」の艦長に、のちに海軍大臣総理大臣を経験する米内光政がいた。

    遠洋航海終了後に、軽巡「夕張」に配属された。1924年10月に戦艦長門」に転属、同年12月に海軍少尉に任官。以降、水雷学校砲術学校の学生を経て、1926年に海軍中尉第二号掃海艇乗り組みとなる。1927年駆逐艦椿」に転属、1929年、駆逐艦「旗風」の航海長となり、

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